前置き
昭和 3年        1928年
11月 3日 手塚治虫父手塚粲(ゆたか)母 文子の長男として大阪府豊能郡豊中町(大阪市府豊中市)に生まれる。
弟妹は 妹 美奈子 弟 浩
昭和 7年  関西大学の創立者の一人であった祖父・太郎がなくなる。
昭和 8年  兵庫県川辺郡小浜村(1954年に宝塚市となる)へ引っ越す。
昭和10年  手塚治虫 6歳  大阪府立池田師範付属小学校(現、大阪教育大学付属池田小学校)入学。
昭和11年  二年生のとき、髪の毛がちぢれていたので、「ガヂャボイ」というアダ名をつけられる。
昭和12年  三年生の二学期から、乾秀雄先生が担任となり、綴り方教育をうける。 坊主頭になり、主人公はそれがモデルの、最初のマンガ「ピンピン生チャン」を描く。 田河水泡「のらくろ」や「ナカムラマンガ・ライブラリー」を愛読。 田河水泡のマンガ「小型の大将」を読むために『少国民新聞』をわざわざ購読してもらう。
昭和14年  五年生よりメガネをかける。鉄筋の校舎が新築され、空き教室や、 建築工事の作業小屋などで、友人といっしょに陰謀団ごっこをする。火星人の出て来る紙芝居「火星人来る!!」を描く。
「フクチャンと魚釣」というマンガの中に初めてヒョウタンツギが登場。 「支那の夜」という長編マンガを描いて学校で回覧、先生にも評判となる。 友人たちといっしょにガリ版刷りの回覧誌をつくる。
友人から借りた、平山修次郎著『原色千種昆蟲図譜』を見て、”オサムシ ”という虫を知り、
本名の治に虫をつけて”治虫”というペンネームをつける。昆虫採集を始める。 「ピーピーピーコ」などを描く。
『少国民新聞』連載の海野十三「火星兵団」に夢中になる。
 
昭和16年
 3月  手塚治虫12歳  池田師範付属小学校を卒業、大阪府立北野中学(現、北野高校)に入学。美術班と地歴班に所属する。マンガを描いたため、軍事教練の教官からにらまれる。マンガのことでしかられたときは、美術教師の岡島吉郎先生によくかばってもらう。昆虫採集に熱中し、
「昆虫戦線記」「昆虫の身の上ばなし」などの昆虫を題材にしたマンガもかく。「ママーたむていものがたり」をかく。
昭和17年
 6月  地歴班から分離独立して博物班ができ、同窓の友人らと動物同好會設立。
 7月31日  動物同好會の会誌「動物の世界1」を発行。翌年にかけて大学ノートに絵入りのクイズを描いた
「智恵の豆袋」を発行(18号まで作成)。
昭和18年
 手塚治虫14歳 兵庫県川辺郡小浜村(1954年に宝塚市となる)引越。
 1月15日  「原色甲蟲圖譜」第一集を発行。
 3月 1日  「動物の世界2」を発行。
 3月  初めてペンとインクを使って"ヒゲオヤジ"を主人公に「オヤヂ探偵」をかく。
 4月15日  「原色甲蟲圖譜」第二集を発行。
 5月  「動物の世界3」を発行。
 6月  「オヤヂ探偵物語 バリトン工場事件」を発行。
 8月12日  「動物の世界(記録號)」発行。
 8月  非公式なグループ"六陵昆蟲研究會"を結成する。
 9月18日  六陵昆蟲研究會の会誌「昆蟲の世界1」を発行。
10月 3日  「昆蟲の世界2」を発行。
11月  「ヒゲオヤヂ南方戦線記」を描く。
11月20日  「昆蟲の世界3」を発行。
12月20日  「昆蟲の世界4」を発行。 阪急百貨店文房具部で発行していた『昆虫手帳』を使い、友人との情報交換などもしていた。
昭和19年      1944年
 3月31日  エッセイ集「昆蟲つれづれ草」を発行。
 3月31日  色増訂ヒドロ蟲類圖譜」発行(元版は'43年5月31日発行)
 3月31日  「昆蟲の世界8」を発行。
 4月 1日  「昆蟲の世界9」を発行。
 5月 1日  「昆蟲の世界10」を発行。
 5月31日  「原色櫛水母圖譜」発行。
 6月 1日  「昆蟲の世界11」を発行。
 8月  仁川の一里山健民修練所に入所、腕が水虫にかかり出所。
 9月  勤労動員で淀川べりの大阪石綿に勤める。
 9月   エッセイ集「研究記録雑話 春の蝶類」を発行
昭和20年      1945年
 3月28日  手塚治虫16歳    北野中学を卒業。
 4月12日  大阪松竹座で「桃太郎海の神兵」を観る。
 6月  日本およびアメリカの漫画キャラクターのオンパレードによる戦争もの「勝利の日まで」を描く。
 6月  丸ペンに墨を使って「幽霊男」を描く。
 7月 1日  手塚治虫      大阪大学付属医学専門部に入学。大阪大学付属医学専門部に入学。
 この頃 「冒険狂時代」の原案となった劇画的タッチの「おやじの宝島」を描く。  
 8月15日 日本 無条件降伏を受け入れ ポツダム宣言を受諾 「第二次世界大戦」が終結
 この敗戦を機に、日本の歴史は、大きく変わったと思う、それは、私たちが、明治維新に描いている、変革のイメージより、もっと大きいものであった、
この日から以後、多くの犠牲を払った代償として、貧困と苦しみの中から、自由で明るい、教育、科学、文化が、花開いて行ったのであった。 と信じていたが、
現在その信念が揺らいでいるのは私だけであろうか。
 いずれにしても、漫画の神様といわれるようになる、手塚 治虫も、これまでも漫画を画いていたことを手塚治虫自身が語っているが、
自由に活動し始めたのは敗戦後からであったと思うので、漫画家としての手塚治虫の作品を調べてその仕事の期間を推測する資料としたい。
10月14日 真佐美 ジュン 浦和市白幡で生まれる
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