千夜一夜物語
日本ヘラルド映画配給 128分 カラー・ワイド 虫プロダクション 1969年6月14日 ロードーショー封切 |
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2月 虫プロ ほとんどすべての社員が「千夜一夜物語」を手伝うことになる。 3月 作画班だけでなく仕上班や背景班などの女性陣も2〜3時になるのは当たり前で明け方まで仕事をするものが出る。 村野 守美 さんが使用していた、第2スタジオ駐車場に立てた、上等なプレハブの部屋が、制作本部となり撮影出しもそこで行われた、制作で見るからに体の弱そうなYさんが横になっていた、もう何日も貫徹が続いていた。誰かが「かれ、もう、何時間寝てるんだ!」と、尋ねた、「もう2時間も寝ている}誰かが答えた。皆が白い目で寝ている彼を見た、正常な世界ではなく、皆がおかしくなっていて、常識は既になくなっていた。 またわれわれ、制作進行はこの頃、経済的な問題から、ホンダの軽自動車を使用していた、毎日使用日報をつけるので、1日の走行距離がわかっていたが、1日150〜200K走っていた。車が小さいので、疲れもひどかった、外注から戻ると、社内はあがり待ちとなる、待ち時間に休息すればよいのだが、一生懸命作業をしている仕上の女性を見ていると、休息など出来なかった、あいている机で、彩色の手伝いをした。3時や4時に作業が終わると、当然帰りの足が無くなった。そこで進行が自主的に 、帰る方向で、コースを決めて、女性を、送っていった。皆はそれについて、何の疑問も持たなかったが、上から送るのを止める様、命令が来た。「何か間違いがあったら、どうするのですか」とわれわれは言ったが、上からの命令は絶対で、送るのをやめた。その日の深夜、仕上げの作業を終えて、かえって言ったMさんが、頭から 血を流して、2スタに逃げ込んできた。痴漢に殴られてしまった。「進行の体を、心配して、いただくのはうれしいのですが、私たちは、このようなことが、起きるのを、心配していたのです」と上司に言い。送っていくことを、再開した。今度は文句は言われなかった。そして進行全員は結束して、最後まで、仕事と、送っていくことを成し遂げた。(一部の演出家や担当制作のなかには、進行を、人扱いしない方も居りました、でも彼らが飲みに行ってしまっても、じっと文句も言わず我慢して、せめて仕上の1枚でもと寝ないで手伝っていたのが進行です。そんななか、タイトルには名前の出て無い進行がたくさんいますが、全員が「千夜一夜物語」を成し遂げたことを、いつまでも誇りに思っております。) 5月 納期に間に合わないと言う上層部に、社員は絶対に間に合わせると燃え上がる、何度か、危機がある。 6月5日 スタジオセンターでダビング 6月9日最後のカットの撮影が終わりラッシュがあがる。 6月10日 8時 東洋現像所で上がったものから試写 午後3時渋谷公会堂で試写会が行われるが、、ぎりぎりで間に合わせることができた。 6月14日 ロードショー封切り |
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