千夜一夜物語

   日本ヘラルド映画配給   128分   カラー・ワイド

   虫プロダクション     1969年6月14日    ロードーショー封切
 社長室の時に島方部長と走り回り、展覧会の絵を新宿ミラノ座。渋谷パンティオン、松竹ヘラルドの3館で、公開することに成功した。
昭和42年4月15日の日記には、島方部長と、有楽町の日本ヘラルド映画へお伺いしている、記述があるのでこの頃既に、劇場用の漫画映画の交渉を開始した。私個人としては、「竹取物語」を昔見た「イワンのばか」の、印象が強く、ぜひそんな漫画映画を作りたいと、常図ね夢を語っていた。その頃の有楽町には、ガード下にすし屋横丁なるものがあり、帰りには、お寿司を食べに連れて行ってもらった。
いろいろなものを、食べさせていただいたが、やはりマグロが好きで、2〜30かんは、若いので食べていた、それでも、はじめは遠慮していたが、そのうち顔馴染になるとどんどん食べ、店長もいつものね?と言い20個単位で握って出してくれ、島方部長の顔色を、変えたこともあった。 そのすし屋横丁も今は既に無く、覚えているものも少ないであろう。
6月に私はリボンの騎士を手伝うことになり、徐々に社長室から第2スタジオへ移っていった。 秋には練馬の13間通りに面した紫光と言うレストランで、手塚治虫が、山本暎一さん、杉井儀三郎さんなどに日本ヘラルド映画社から大人用の劇場長編漫画映画の話が、ある事を話す。
翌年昭和43年になると私はリボンの騎士班からわんぱく探偵団へと移っていた
年はじめから3月ぐらいまで協議に入り、配給収入から制作費を前払いしてもらえることになる、そのことで、、配分は、五分五分から七三になってしまった。
この頃の虫プロの、経営状態は、火の車で、自転車操業に入ろうとしていた、時期であった。
千夜一夜物語 と言う題名が決まり シネマスコープで約2時間、制作期日は1年と決まる。
 4月日本ヘラルド映画、社長と、虫プロダクション社長で、契約書に調印した
 5月 「千夜一夜物語」のプロデューサーとなった 富岡 厚司さんが、山本 暎一さんに、チーフディレクターを依頼する。
故 穴見常務の親友、熊井 宏之氏 を脚本更正などで、お招きする。
そして手塚先生の話をシナリオ化するため、深沢 一夫氏に依頼する。
第2スタジオの1階が「千夜一夜物語」準備室となる。
6月 美術監督として、やなせ たかしさんをお迎えする。
7月7日の衆議院選挙で、主役 アルディーン の声優 青島 幸男さんが 当選
9月 「わんぱく探偵団」の作業がが終了 スタッフが「千夜一夜物語」へ
9月末 第2スタジオ 2階へ 「千夜一夜物語」のスタッフが入る。
10月 ベニヤ板24枚の使った、ストリーボードが、完成
11月 青島 幸男さんに声優の依頼をする。 音楽は 皆が 冨田 勲を望んで決まる。そして、アニメのドラマと言うことで、アニメラマというキャチフレーズが決まったが、響きが卑猥で、評判は、良くなかった。
12月 約5分のデモンストレーション フィルムが、完成。
昭和44年
3月一杯で完成、納品予定であったが、この時点でも、手塚 治虫の絵コンテが進まず、日本ヘラルド映画社に交渉して、5月末の納品となる。
2月 やっとせりふ取りが(アフレコではなく、プレレコなので)行われた。

 2月 虫プロ ほとんどすべての社員が「千夜一夜物語」を手伝うことになる。
 3月 作画班だけでなく仕上班や背景班などの女性陣も2〜3時になるのは当たり前で明け方まで仕事をするものが出る。
    村野 守美 さんが使用していた、第2スタジオ駐車場に立てた、上等なプレハブの部屋が、制作本部となり撮影出しもそこで行われた、制作で見るからに体の弱そうなYさんが横になっていた、もう何日も貫徹が続いていた。誰かが「かれ、もう、何時間寝てるんだ!」と、尋ねた、「もう2時間も寝ている}誰かが答えた。皆が白い目で寝ている彼を見た、正常な世界ではなく、皆がおかしくなっていて、常識は既になくなっていた。
またわれわれ、制作進行はこの頃、経済的な問題から、ホンダの軽自動車を使用していた、毎日使用日報をつけるので、1日の走行距離がわかっていたが、1日150〜200K走っていた。車が小さいので、疲れもひどかった、外注から戻ると、社内はあがり待ちとなる、待ち時間に休息すればよいのだが、一生懸命作業をしている仕上の女性を見ていると、休息など出来なかった、あいている机で、彩色の手伝いをした。3時や4時に作業が終わると、当然帰りの足が無くなった。そこで進行が自主的に 、帰る方向で、コースを決めて、女性を、送っていった。皆はそれについて、何の疑問も持たなかったが、上から送るのを止める様、命令が来た。「何か間違いがあったら、どうするのですか」とわれわれは言ったが、上からの命令は絶対で、送るのをやめた。その日の深夜、仕上げの作業を終えて、かえって言ったMさんが、頭から 血を流して、2スタに逃げ込んできた。痴漢に殴られてしまった。「進行の体を、心配して、いただくのはうれしいのですが、私たちは、このようなことが、起きるのを、心配していたのです」と上司に言い。送っていくことを、再開した。今度は文句は言われなかった。そして進行全員は結束して、最後まで、仕事と、送っていくことを成し遂げた。(一部の演出家や担当制作のなかには、進行を、人扱いしない方も居りました、でも彼らが飲みに行ってしまっても、じっと文句も言わず我慢して、せめて仕上の1枚でもと寝ないで手伝っていたのが進行です。そんななか、タイトルには名前の出て無い進行がたくさんいますが、全員が「千夜一夜物語」を成し遂げたことを、いつまでも誇りに思っております。)
5月 納期に間に合わないと言う上層部に、社員は絶対に間に合わせると燃え上がる、何度か、危機がある。
6月5日 スタジオセンターでダビング
6月9日最後のカットの撮影が終わりラッシュがあがる。
6月10日 8時 東洋現像所で上がったものから試写 午後3時渋谷公会堂で試写会が行われるが、、ぎりぎりで間に合わせることができた。
6月14日 ロードショー封切り
     NEXT
WARNING
警告
It is prohibited to copy "Animation file" in this site and "Sentences" without permission,
and to open to the public in other sites and the publications or to link directly.

このサイト内の、「動画ファイル」や「文章」を許可なくコピーすること、
他のサイトや出版物で公開または直接リンクすることを禁止します。

日本テレアニマ
Copyright (C) 2005 NipponTeleAnima . All Rights Reserved.




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送