1967年  昭和42年
手塚 治虫社長室時代


                
1967年 1月
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 1月 1日 日曜日 天気雨
11時起きると雨が降っていた。寝正月を決め込もうと思ったが気を取り直して、遅くなったが1年無事過ごせるよう毎年そうであったように明治神宮まで、初詣に傘をさして電車で行く。4時過ぎには帰宅、家族とテレビを見たりして 夜更かしする。

 1月 2日 月曜日 天気晴
今年の正月は我が一生涯で一番つまらなく退屈である。誰も尋ねても来ず。何をするでもない。今日シーちゃん(母の妹であだ名で呼んでいて名前を知らない)がしずえチャンやまさみちゃんを連れて母に年始の挨拶に来ていた上の姉はもう中学1年生だそうで我も年をとったものだと感じた。(まだ若いくせに)何か時間が早く過ぎていくようで不安が感じられる。二時から浦和の調の宮へ散歩に行った途中わた飴を持った和服姿の若い娘らとすれ違って、お正月を感じた。テレビや父とゲームをして1時過ぎまで起きていた。今日見る夢が初夢、どんな夢を見るのかな。

 1月 3日  火曜日 天気晴
1日中外出もせずにテレビやゲームをしてコタツで過ごす。風邪気味12時ごろ寝た。

 1月 4日  水曜日 天気晴
前の日と同じで出かけもせず、一日過ごす。あしたは仕事始め頑張って働こう。この正月休みは映画に行くでもなし、どこかへ出かけるでも無しで1週間無駄に過ごしてしまった。大変退屈な1週間だった。今日はあしたのために早めに寝よう。
「ジャングル大帝 進め!レオ」 14話 吠える氷河

 1月 5日  木曜日 天気晴
仕事始め 定時出社
社長(手塚治虫)大坂行きで羽田までお送りする。高速道路を使用する。定時帰宅
 従妹ののり子が新年の挨拶に来る。お年玉をあげる。11時過ぎ寝る。

 1月 6日 金曜日 天気曇り
11時に郵便局へ行く暇でついでに床屋へ行く、1時から東京駅まで先に帰ってきた先生の奥様をお迎えに向かう。定時で帰宅テレビを見たりで11時前には寝る。

 1月 7日  曜日 天気晴
島方部長と、教育映画者へ行く、帰りに新宿で昼食をとる。4時から役員会があり。社長室の留守番で会議の終わるのを待っていて7時半を過ぎる。8時過ぎに帰宅する。 
 
 「悟空の大冒険」 1話 悟空誕生  がフジテレビで放映開始(〜9月30日) 。

 1月 8日 日曜日 天気晴
午前10時に会社へ行き11時過ぎに帰宅1時過ぎ映画に行くが面白くなくすぐ出てしまったが、駐車違反で捕まっていた。手続きで5時過ぎ帰宅テレビを見て寝る。

 1月 9日 月曜日 天気晴
漫画部が中村橋スタジオから第4スタジオへ引越しする。昼に朝礼がある。手塚先生各スタジオを回る。定時帰宅につき7時に帰宅10時半寝る。

漫画部は中村橋駅の池袋 方面線路に沿って北側を暫く歩いて行くと道が狭くなった。その狭くなった突き当りのアパートみたいな建物の2階にあった。中村橋の東の踏み切りの道は一方通行で時間でと売れなくなるため、漫画部へ行くには、コツが必要だった。第4スタジオには漫画部はそんなに長くは居らず過ぎに南のほうへ引越し、そして富士見台駅前の喫茶店の上の4階へ引っ越した。

 1月10日  火曜日 天気晴
9時早めに出社。社長室に入ると床に布団を引いて先生と野口さんが寝ていた。起こさないよう気をつけたが、先生は気づかれて、 朝の挨拶をなされた。11時から午後2時までユナイテッドアーチストへフィルムを引き取りに行く。帰社すると先生は年始のご挨拶まわりに外出なされていた。5時半前給料15日分が出る。先生の帰ってこられて、定時にて帰宅につく。

 1月11日  水曜日 天気曇り少し雪 霙
朝のうち少し雪が降る。教育映画社へ行く。 COM上げで先生に付き貫徹する、雪が凍り付いて車がスリップして走り辛かった。
「ジャングル大帝 進め!レオ」  15話 ひとりぼっちの墓

 1月12日  木曜日 天気晴
 ピカデリーまでフィルムを届けに行く、島方室長と待ち合わせして放映の件の打ち合わせなどをする。 定時で帰宅

日本血液銀行協会が、4月から買血を全廃し預血のみとすることを決定する

 1月13日 金曜日 天気晴
浦和の簡易裁判所へ出廷する。罰金3千円 支払う 言うことなし!午後に島方室長と文部省の映倫へ行く、東映堂(写真店)により島方室長を途中で降ろし5時半過ぎ帰社7時半帰宅11時寝る。

 1月14日  土曜日 天気晴
フィルムを仕入れに日本橋まで行く。午後先生のお父様と草加の写真の現像所へ(シェリルラボ)へフィルムを届けに行く。早いね!もう今年も2週間経ってしまった。何かこの冬最大の寒波が来て4,5日続くそうだ、青森の方ではドカ雪の降る恐れがあるとかで、そうとう吹雪いているらしい。
 「悟空の大冒険」 2話 キント雲はいただき

 1月15日  曜日 天気晴
成人式からもう1年経ってしまった。何処へも行かずに、コタツに入ってテレビを見たり、ギターを弾いたりして過ごした。(東京都渋谷郵便局区内 NHK放送センター「あなたのメロディー)11時前寝る。

 1月16日  月曜日 天気晴
UA・ピカデリー、著作権協会などへ行く、島方室長と大貫さんらと遅い昼食をとる。5時半宮下さん大島さんと帰る。帰宅7時。11時寝る。

 1月17日  火曜日 天気晴
車両の点検をする。ワックスをかける。車のシートカバーを注文する。
1時半お父様と草加のシュリルラボへ行く。定時で帰宅。COMを読んだりする。9時半地震がある。10時半過ぎ寝る。
 
 1月18日  水曜日 天気晴
1時半 漫画部の林君とユナイテッドアーチストと教育映画社へ行く。帰りNHKの見学コースでNHKを見学してくる。別に何も無い様なので車で7時過ぎ帰宅に付く。テレビを見たりで11時半寝る。
 
「ジャングル大帝 進め!レオ」16話 密林の黒い牙

 1月19日  木曜日 天気晴
母屋の池の氷がだいぶ厚くなったので皆が氷の上に乗って遊んでいた。調べてみると15から20センチぐらい厚さがあった。(今思い出すと確かに当時は氷が張った、自宅のそばの沼にも氷が張ってスケートも出来た。外の水道も良く凍りついて不便をした。今は信じてはもらえないだろう。)車磨きが出来たほど暇であった。(このような時は手塚治虫は雑誌に追われて一歩も出られず忙しかったはず。)定時にて帰宅。テレビを見たりして10時過ぎに寝る。

 1月20日 金曜日 天気晴
12時半から2時半まで奥様お父様お母様3人を乗せて国立劇場へ行く。
3時過ぎ草加のシェリルラボとユナイテッドアーチストへ行き7時半帰社
8時半ごろ手塚先生から「今日は結構です」とお許しが出て。車で帰宅。
11時過ぎ寝る。

 1月21日  土曜日 天気
虎ノ門ホールにて第21回芸術祭の表彰式が執り行われた。さすがに手塚治虫先生は嬉しそうであったが、すぐに光文莊へ缶詰になってしまった。展覧会の絵のフィルムを届けに行く。10時過ぎに帰宅、1時前寝る。(第21回芸術祭奨励賞受賞式に島方室長と先生についていく盛大な式典で華々しい場所であったがその雰囲気に浸るまもなく雑誌の締め切りが過ぎてしまっていたためその足で雑誌社の光文莊へ直行して、外部と遮断(缶詰)となった。)

「展覧会の絵」で、第21回芸術祭奨励賞受賞。

「悟空の大冒険」 3話 坊さんナンバーワン

 1月22日  曜日 天気
はれ・・・・・・・。"晴と言えば いつだったか誰かが、一日でもいいから雨が降ってくれないかって言っていたっけ!だいぶ雨が降っていない。映画を見に行く。「ミクロの決死圏」「0011ナポレオンソロ」「ビックトレイル」の3本立て。ミクロはうわさより良かった。ビックトレイルは面白くて大いに笑ってきた。
 
 1月23日  月曜日 天気晴
「展覧会の絵」で金が入るからと、手塚治虫社長が、デズニーのファンタジアのロードショーの切符を、全社員に配ると言う。なぜかすこし心配である赤字になりそう。デズニープロのある、兼坂ビルまで、330枚の切符を買いに行ってくる。定時にて帰宅11時前寝る。

 どこかに前に書いたと思うが私がファンタジアをまだ見たことが無いと言ってしまったことから、若い人は見てないので丁度デズニーのローテーションで今年封切るので是非見せたいと思ったらしい。まさか全員に切符を配るとは思ってもいなかったので、私の一言で先生に迷惑を掛けたのではと悔やんでいた。
 虫プロでは映画を見ることは教材費として認めてくれたが私の場合は、請求したことは、無かった。

 1月24日 火曜日 天気晴
9時から手塚治虫観光閣にて1時まで仕事。フジテレビの食堂で昼食をとり1時半に教育映画制作者協会へミラノ座でフイルムを引き取って帰社。定時帰宅11時過ぎ寝る。

 1月25日 水曜日 天気晴
ピカデリーへ切符を買いに行く。給料4時過ぎに出る。6時過ぎ島方室長を二子玉川まで送り8時半帰宅。22日から通勤の時に読んでいた山本有三集の「波」今日読み終わる。11時過ぎ寝る。
 「ジャングル大帝 進め!レオ」17話 悪魔の滝

 1月26日 木曜日 天気晴
長瀬産業から松竹本社、切符が足りなくなってデズニープロと回り4時過ぎてしまう上野のアメ横田中産業でモデルガンブローニングを5千円で買って帰る。定時で帰宅駅から贅沢をしてタクシーで家まで帰る。テレビを見て10時過ぎ寝る。

(虫プロで西部劇がはやっていたのでモデルガンブームが起きていた。東京オリンピックの時に婦警さんに身せてもらった拳銃が忘れられずブローニングに決めた。肩掛けのホルダーとサイレンサー握りはプラスチックを木製にした。夜発射すると火花が3から40センチ出て迫力があった。後に赤軍派事件で役に立った?)

 1月27日  金曜日 天気晴夜雨
駅のそばの富士銀行へ預金をしに行く。お母様を宇都様のお宅へお送りしようとしていると松本さんらが荻窪に用事があるとのことで同乗させてもらい、お送りした後で荻窪まで行く。漫画サンデー上げで9時過ぎまでの残業、車で帰宅12時寝る。

 1月28日 土曜日 天気雨
今日の手塚先生は機嫌が大変良く雑談をして大変楽しい日であった。来客もたくさんあった。8時過ぎまでの残業、車で帰宅。12時半寝る。
 
「悟空の大冒険」 4話 宝の地図はペケペケ

 1月29日 曜日 天気雨のち曇り時々雨
生まれて始めての選挙を済ませる。
手塚先生の代理の大野さんを乗せて鶴見の幼稚園へ公演に行く。12時半島方室長のご自宅へ到着少しはなれた幼稚園へ行く、3,40名の幼稚園児から小学生を相手に大野さんが漫画の書き方や私が16ミリの漫画を映写したりして楽しく子供たちもとても可愛かった。帰り会社によって手塚先生に報告して帰宅した。

いわさきちひろの夫の松本善明氏が共産党代議士に当選する。

 1月30日  月曜日 天気晴
雨も上がってどうやら晴れた。
9時より松竹本社の野崎宣伝部長あてに展覧会の絵のフィルムを届くに行く。12時帰社、1時島方室長と池袋の版権部へ向かい桑田常務を同乗して青山の明治製菓の会長さんのお葬式へ出席する。駿河台魔で桑田常務を送り、銀座日通前の喫茶店で日本ヘラルドの方とお会いする。帰社後展覧会の絵の打上が練馬浜松会館で6時から行われ30数名が参加社長室全員も出席する。8時過ぎまで楽しみ9時社に戻り9時半帰宅11時半寝る。

 1月31日 火曜日 天気晴
一生忘れられない日となった。
2時島方室長と松竹本社でフィルムを引き取りガスホールへ届け、また足りなくなったファンタジアの切符をデズニープロで購入し、ピカデリーへ行き、「展覧会の絵」のロードショーの飾り付けを見てくる。
5時半に飯野ホールへ行き「ブルーリボン賞」の発表会へ出席する。車を預け島方室長と私は招待客の印の大きな花を胸に付けられ手塚治虫の到着を待った。6時半公開時間ぎりぎりに須崎さん運転の車で到着、展覧会の絵の映写発表が行なわれ、盛大な拍手を頂く。その後地下1階で8時半までパーティーが開かれ中華料理店で先生や須崎さんと食事を頂いた。9時半帰路に着き10時過ぎ帰社11時過ぎ帰宅12時過ぎ寝る。


(展覧会の絵でブルーリボン賞を取りその表彰式に代表者として島方部長と出席した、案内された座席に座っていると左隣に女性が案内されて座った。渡辺プロダクションの渡辺美佐さんであった。昔歌手を目指していた私にとっては、雲の上の人、その人が私に一礼して隣に座った、話を聴くとクレイジーキャッツのリーダーハナ肇さんが松竹映画山田洋次監督の「運が良けりゃ」で主演男優賞をお取りになった、さきに植木等が賞を取っていたのでこの受賞は大変嬉しいと喜びを語っていた。表彰式が進んで、ハナ肇の時になった、大勢のカメラマンが渡辺美佐のまわりに集まって写真を取り捲る。隣が私である。 家に帰りかぞくにそのことを伝えた、次の日の新聞にはとなりに私が写っているだろうと。朝が待ち遠しかった、しかしどの新聞にも私は写っておらず綺麗に切り取られていた。)
 −この式典に出たことはとても栄誉に思い思い出の宝物になった。


  「展覧会の絵」で第17回ブルーリボン教育文化映画賞受賞。


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 2月 1日  水曜日 天気
2時松竹本社へ行き、契約書を受け取ってくる帰りにピカデリーで切符を購入する、5時帰社。
定時で帰宅テレビを見たり、12時過ぎ寝る。

 
「ジャングル大帝 進め!レオ」18話 機関車騒動

 2月 2日 木曜日 天気晴
展覧会の絵に字幕を入れてもらったものを受け取りに日本橋まで行くそれを松竹本社へ持って行きガスホールのフィルムを引き取り社へ帰る。車のオイルチェンジやグリスアップ、その後洗車をする。6時帰宅に付く7時半帰宅テレビを見たりで10時半寝る。

虫プロではブルーバードを使用していたがその後、八起自動車の関係でスカイラインになった、車はそれぞれの班に割り当てられたが、駐車場や道路も悪い時代運転席のペタルが隠れるほど泥だらけになった。いつも綺麗にしていると車の配置換えがあり汚い車が回ってきて困惑したものだった。雪の日に撮った写真がありそれはスカイラインであった、この日記には、グリスアップをしたと書いてあるので、スカイラインはグリスのところに、お寿司などについてくる醤油の小さな入れ物見たいなのが付いていて、グリスアップをしなくていいのが当時の売りであった。このことからこの時はブルーバードを使用していたのではと、想像できる。

 2月 3日  金曜日 天気曇り
1時ピカデリーへフィルムと見た人にアンケートを書いてもらうためのアンケート用紙を届けに行く。前売り券を買い、長瀬産業へフィルムを買いに行く、4時帰社。先生とマコちゃんるみちゃんが各スタジオへ行き豆まきをする。定時帰宅。テレビを見たりして10時寝る。 

 先生がマコちゃんを連れて各スタジオへ行って豆まきをするのは恒例となっていた、この時は、るみちゃんも一緒だった。

 2月 4日  土曜日 天気雪のち晴
朝起きると雪がうっすらと積もっていた展覧会の絵のピカデリー初日、先生の色紙42枚を届けにピカデリーへ行く、雪も上がって晴れてとてもよい天気になっていた入場者も良くほとんど満員であった。手塚先生が後楽園ホールで「笑点」のビデオ取りを撮っていた帰りに寄って帰社4時過ぎ。定時帰宅1時寝る。
  「展覧会の絵」が文部省推進の教育映画とされ丸の内ピカデリーにて公開。
 「悟空の大冒険」 5話 雨に唄えば

 2月 5日  曜日 天気晴
テレビ「題名の無い音楽会」そして手塚先生が審査員で出演のNHK「あなたのメロディー」を見る、2時浦和の町へ行く、レコードの予約をし、本屋でちばてつやの漫画を買って演奏堂で父と会いバスにて一緒に帰宅4時。テレビなど見たりして11時過ぎ寝る。

 2月 6日  月曜日 天気晴 
ピカデリーへ「恋人達の世界」の切符を買いに行く。(つまり「展覧会の絵」の切符)3時半社へ戻る。漫画部へ2度往復5時過ぎに手塚先生がホテルニューオータニへ「鉄腕アトムの終わりを記念するパーティー??へ出席されるためお出かけ。定時にて帰宅。10時半寝る。
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手塚先生が招待状を送るためのピカデリーの切符をたびたび買いに行った。鉄腕アトムが大晦日の日に終わって一月以上経ったこの時期に記念するパーティーがあった事など記憶にも無かった.。

 2月7日  火曜日 天気晴
12時はん教育映画連盟へ大坂用のフィルムを届けに行く。万年社の局長さんと次長さんにお会いし、渋谷からピープロへ行き社長さんにお会いする。4時半社に戻る。漫画部で少しトラブルがあって帰りが遅れ8時帰路につく。11時寝る。

Pプロは方南町にあったと思う、手塚先生からの指示を伝えるために、社長さんにお会いした。

 2月 8日  水曜日 天気晴のち曇
何処へも出る用事が無く、午前中は終わる。昼からも先生は漫画部で仕事。私が今日は残ることになる。本など片付けをしていると7時に電話が入り先生がお戻りになるとのことで迎えに行く。「今日は結構です」のお許しが出て8時前帰宅につく。
 
 前にも書いたが手塚治虫用には毎日日誌みたいなのを付けていた、それを見れば、手塚治虫がどの雑誌上げの為追い込みしていたのかが判るのだが、今の手塚プロには存在しないだろう。 先生が間が回るほど忙しいときは、社長室の我々は、とても暇になってしまうことがしばしばであった。(缶詰の時は別)
 
「ジャングル大帝 進め!レオ」19話 石のとりで

 2月 9日  木曜日 天気雨
朝から雨   ゆうつな雨が降っていた。11時お母様を宇都様宅へお連れし戻って、お父様が伊東までお出かけで練馬駅へお送りする。2時池袋東武へ島方室長をお送りして三越へ行く、版権の大野さんを同乗島方室長を迎えに行って社に戻る。定時にて帰宅10時半寝る。

 2月10日  金曜日 天気雪
雪が降っていて田も畑も木々も、家々の屋根も、みな真っ白、だいぶ積もって、雪かきをした。1時過ぎ島方室長を東京駅まで送る。長瀬産業へ寄り5時社に帰る。10日分の給料を貰い定時にて帰宅。雪は降り続きすごく寒い。テレビを見た、そして12時過ぎに寝た。

 2月11日  土曜日 天気雪
2日も雪が続くのは珍しいとニュースで言っていた。映画を見に行く「殺しのビジネス」これはレオの男でリオデジャネーロで海に陸に空にと活躍する活劇。「殺し屋がやって来た」賭博しノ主人公が死んだ男に成りすまし保安官となって活躍する。マカロニウェスタン。「バジル大作戦」の三本立て。 
「悟空の大冒険」 6話 銀糸仙人

 2月12日  曜日 天気雪
3日目になっても雪は降りやまず、降り続ける。家の前はぬかってしまい出歩くのに難儀をする。のんびり一日を過ごす。11時半町へ出て水色のセーターと嫌いなはずの赤色のシャツを買う、それも2枚。バスには乗らないで徒歩にて帰宅。テレビを見たりして10時ごろには寝る。

この時買った赤シャツは丈夫で長持ちした、後に出会う近井君で役に立つことになる。

 2月13日  月曜日 天気晴
12時前手塚先生は大阪へ行かれる。1時お母様を宇都様方へお連れする。何事も無く1日が終わる。定時にて帰宅。歯医者へ行く例のごとくテレビを見たりして11時前に寝る

 2月14日  火曜日 天気曇りのち晴
手塚先生は大阪から帰られ直接みゆき座で2時からのファンタジアを見られる。昼前にお父様と島方室長、教育映画連盟の阿部さんを乗せお父様を虎ノ門ホールまでお送りして東京駅で2人をお送りして2時昼食をとり4時帰社、提示帰宅10時過ぎ寝る。

 2月15日  水曜日 天気晴
10時過ぎ床屋へ行く12時社に戻ると手塚先生と雑誌の編集者たちとで話し合っていた。手塚先生が食事を取られに行ったので私も昼食をとりに行く。3時半島方室長とピカデリーへ行く7時帰社車にて帰宅11時過ぎ寝る。
「ジャングル大帝 進め!レオ」20話 白い絶壁

 2月16日 木曜日 天気晴
島方室長が虫プロ商事で打ち合わせしているので池袋の虫プロ商事まで迎えに行く。昼商事の野口さんと2人で、ちばてつや先生のお宅へCOMの打ち合わせにお邪魔する。帰社後第5スタジオの富さんまでフィルムを借りに行き、ついでにベフプロまで行く、4時半過ぎ帰社今日は残る予定であったが、須崎さんが帰るように行ってくれたので帰らせてもらった。10時半寝る。

 2月17日  金曜日 天気晴
出社してすぐ歯医者へ行く。麻酔をされて治療を受けたため昼食のとき奥歯がかみ合わなくて飲み込んだためか、腹の調子が悪くなる。2時お母様を宇都様へお送りする。島方室長と鶴瀬までフィルムを届けに行く。4時半帰社12時まで残業12時半帰宅。1時寝る。

 2月18日 土曜日 天気晴
9時出社すぐ歯医者に行くが混んでいて11時までかかってしまう。車の洗車をして12時40分社に戻る。1時コロムビアレコードまで「ジャングル大帝の」レコードを買いに行く4時帰社。9時まで虫プロ親睦会火曜会主催の「スケート大会」へ参加するため時間をつぶす。10時から11時半まで池袋のスケートリンクでスケートを楽しむ。12時半帰宅、2時半寝る。
 
「悟空の大冒険」 7話 ゴミまで愛して

 2月19日  曜日 天気晴
9時過ぎ目を覚ますが、布団に入ったままテレビを見ている11時布団を片付ける、食事をする。またテレビを見る。家の前の修理工場を見たりしていた。6時から9時まで麻雀をする。11時寝る。

 2月20日 月曜日 天気晴
歯医者へ行く木曜で終わり。車の掃除。昼休み中庭で皆と踊る。3時車の修理に八起自動車へ持っていく。7時半帰宅テレビを見る。10時過ぎ寝る。

 2月21日  火曜日 天気晴
午前中クラッチの修理。車を洗車する。午後ピカデリー実業の日本社、長瀬産業6時半社へ帰る7時半帰宅。10時寝る。
恋って素晴らしいものさ、そう...............それは言葉で表せない詩人がこいを...............、
楽師が故意を.........昔から描こうとして本当の恋は描けない、本当の恋に落ちた、らこんなことは話せないだろう。.

 2月22日  水曜日 天気晴
11時教育映画制作者連盟へホテルニューオータニへ寄る手塚先生は引き払われた後であった。7時半帰宅テレビを見て11時寝る。
「僕みたいなのに、お嫁さんなんかに、来てくれる人なんかいないな〜・・・・・・といったら、「じゃあ、私がお嫁さんになってあげようかなぁ〜」といったね。
『学年平記』より
「ジャングル大帝 進め!レオ」21話 ジャングルを売った奴

 2月23日 木曜日 天気晴後小雨
2時テレビガイドの人たちが取材に来る。第5スタジオへ案内する。手塚先生が写真などを撮られているところへ、電話が入り小学館の編集者が見られているとのこと。その後外で取材の人を乗せてきたハイヤーの運転手と話などをする。5時半過ぎ須崎さん漫画部アシスタントの林君らと第3京浜へドライブに行くことにする。第3京浜へ着くころには小雨が振り出す。走り出すころには本降りとなる、第3京浜を往復して満足したあと、2人をそれぞれ家まで送り、9時帰宅する

 2月24日 金曜日 天気雨
雑誌原稿のため漫画部へ数回往復する。第5スタジオへフィルムを返しに行く。須崎さんと変わって残業の予定だったが手塚先生の「今日はもう結構です」ということで鶴見の島方室長のお宅へ須崎さんと一緒にお邪魔する。9時から11時過ぎまで島方部長の家で奥様の手料理でご馳走になり須崎さんを自宅に届け12時半帰宅。1時寝る。

 2月25日 土曜日 天気曇
手塚先生島方室長が横浜へお出かけ。1時経理に頼まれて練馬の大和銀行へ社員の給料を運びに行った、時々頼まれて給料運びをするけれど、何かあとを付けられているような気がして用心して追い越されないような道を選んで往復する。1スタの玄関先まで車を止めて用心してガードする。3時暇なので、車のシーツを洗うことにした。マットを外しシートを洗ったが7時まだぬれている。7時半帰宅弟が友達を連れてきて、4時まで麻雀をする。
 「展覧会の絵」で毎日映画コンクール第5回大藤信郎賞受賞。
 
「悟空の大冒険」 8話 博士は何にシビレたか

 2月26日 曜日 天気雨
9時目を覚まし隣の魚屋さんの前に止めた車を移動する、そしてまた布団にもぐりこむ。11時食事昼からテレビを見ている。5時には布団を敷いて寝ながらテレビを見て10時寝る。

 2月27日  月曜日 天気晴れたり曇ったり
教育映画制作者連盟で島方室長と落ち合い東京第1フィルムから丸の内松竹を回って3時社へ戻る手塚先生はすでに首相官邸へ向かわれていた。別段これといった仕事も無く7時半帰宅いつもどおりにテレビを見たり作曲をしたりして、11じはん風呂に入って寝る。

 2月28日  火曜日 天気晴
東京第1フィルムへスチール写真関係のフィルムを届けに行く。3時お母様島方室長、広川さんを乗せて池袋へお母様を三越デパートで下ろして、虫プロ商事へ行く。
定時帰宅テレビを見たりする。母が病気で風呂はなし。10時半寝る。


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 3月 1日 水曜日 天気晴
朝礼があったが車がパンクしていたので、朝礼にはでないで大野石油へ修理出しに行く。松竹本社へ大阪の分のフィルムと契約書を持っていく。2時食事を急いで取り、草加のシュリルラボまで行く、自宅へ帰ったほうが近いので電話を入れて、許可を得て帰宅。テレビなど見て11時過ぎ寝る。
「ジャングル大帝 進め!レオ」22話 象の墓場

 3月 2日  木曜日 天気晴
須崎さんが休んだので、先生が出かけるときのために松竹などへ出かける予定を取りやめる。先生は出かけられず、お母様を宇都様にお連れしたり。5時過ぎには安藤様のお宅へ行くぐらいであった。サンデーの原稿を届ける事になり残業になる8時半先生の原稿が上がり東京駅まで電車で行き歩いて9時15分届ける。10時半過ぎに帰宅。11時過ぎには寝る。

 3月 3日  金曜日 天気晴
須崎さん、今日もお休み、忙しくはなかった。少年サンデー上げで先生に付き。4日午前5時までの貫徹になる。

 3月 4日 土曜日 天気晴風強し
少し仮眠を取り8時起きる、9時タイムカードを押しに行き10時過ぎまでまた仮眠を取る。10時半とこやへ行く。漫画部へ1度行っただけで私は暇だった。提示にて帰宅。テレビなど見たりして11時に寝る。
 
「悟空の大冒険」 9話 おかしな?おかしな?

 3月 5日 曜日 天気曇後雨
 9時過ぎ起床テレビを見たりしている。11時半浦和オリンピアへ映画を見に行く。「悲しみは星影とともに」「赤と黒」「恋するガリア」の3本立て、映画館を出ると雨が降っていた。6時36分のバスを待っていると、スキー帰りの父と偶然いっしょになり帰宅。テレビを見て風呂に入り11時過ぎ寝る。

 3月 6日  月曜日 天気雨
雨がまだ降っていた、いつものように白幡坂上からバスで浦和駅へ赤羽で乗り換えて池袋で西武線に乗り換え、がらがらの、各駅停車で富士見台駅へ、舗装されてない道で革靴が泥だらけになる、そんなうっとうしい雨降りであった。じゃ兆室へ入ると手塚先生は8時まで仕事をなされていたとのことで、1時ごろまで寝させて欲しいとの伝言を奥様から言付かった。小倉さんが、車を貸して欲しいと申し込んできた、気持ちよくお貸しするが11時返しに来ると右の後ろのドアを凹ませていた。私だと思われるのが気になった。富士銀行へ残業食事代を取りに行く。練馬の大和銀行へ総務(経理)に頼まれて社員の給料を取りに2往復する。注13時契約の事で第一フィルムへ行く5時半帰社
。原稿遅れのため編集者同士がごたごたしていた。明朝草加へ直行なので,社用車にて帰宅する。8時テレビなどを見たりして11時床に入り12時寝る

 3月 7日  火曜日 天気晴
朝草加の現像所シュリルラボヘ行く。11時社へ戻り島方室長の来るのを待つ。手塚先生が、虫プロ商事の特別室で原稿を書いていると言う連絡があり、島方室長も虫プロ商事にいるという。昼食後、大野石油で車を洗車する。2時島方室長と総務の木下課長を所沢武蔵銀行までお連れして5時になり帰社6時となる。今日も車で帰宅,エンジンの調子が悪く、エンストして、8時を過ぎて帰宅。10時風呂、11時寝る。

 3月 8日 水曜日 天気晴
出社して社長室へ行くと手塚先生は、虫プロ商事で昨日のまま貫徹。社用車のワックスがけなどをする。商事から電話で車を出してくれと連絡がある。あいにく須崎さんが出かけていたので、変わりに行く。校條さんから少し待っているようにと言われ、そのまま、何の動きもなし、先生が髭剃りを持ってきてほしいと言っているとのことで、須崎さんと連絡を取る、その間に昼飯を食べておく。その後大野さんに3階で待機していますと言付けて3階にて待機する。1時過ぎには須崎さんから電話で原稿が出来上がったら、朝日新聞まで届けて欲しいと連絡あり。2時原稿が上がり。3時朝日新聞へ届ける。帰りに八起自動車でエンジンの調子が悪いのを直してもらい、4時半帰社。提示にて帰宅。浦和の須原屋でドラムのたたきかたの本と「ケネディーと歌おう」のレコードをかう。テレビなど見ながら食事して11時寝る。
「ジャングル大帝 進め!レオ」23話 銀色の狼

 3月 9日 木曜日 天気雨
家を出るときには曇っていた、昨日の天気予報では晴とのことで、傘を持たないで出勤する。富士見台の駅を折歩いていると、後ろから須崎さんが走ってくる「急がないと遅刻だ!」と言われ時計を見ると、9時10分を過ぎていて急いで出社する。タイムカードを押して社長室へ行く。いつもカーテンを開けるのは、早く出勤する私が常であったが来たときには閉まっていたカーテンが、開いていた。手塚先生は虫プロ商事へまだ泊まり込んでいるはず。須崎さんと、いぶかって、部屋へ入ると、遅刻常習者の宮下さんが来ていた。 「こんなに早く宮下さんが来ていると言う事は、今日は雨になるな」と須崎さんと陰口を言いながら、ガレージへと、玄関を開けると、今まで曇っていた空からとうとう雨が降り出していた。須崎さんと思わず顔を見合わせて、大笑いした。商事から漫画の原稿用紙を持ってくるよう先生からの要請があったが、島方室長も居らず、用紙のある場所が分からなくて、奥様にお聞きしたりして、10時過ぎまでてんやわんやする。11時に教育連盟で島方室長と落ち合う約束であったので商事には須崎さんに届けてもらう事にして、11時教育連に着く。その後大阪ビルの日本ヘラルドへ行き12時半渡辺さんを教育連へお届けして、商事へ行く。1時近くの食堂で昼食。虫プロ商事へ戻ると今井社長と手塚治虫が外出して会議しているとのことで。待っていると30分ぐらいで戻られる。打ち合わせして、4時島方室長と社へ戻る。6時、島方さん、大島さんと池袋でおすし屋さんで食事する事になる。大島さんはかなりお酒をお飲みになるので驚く。帰りウィンでチョコレートを買ってもらう。島方さんと別れて南浦和駅まで大島さんと一緒に帰る。
11時風呂12時寝る。

 3月10日 金曜日 天気曇りのち雨
9時にパレスホテルへ社長(手塚治虫)に頼まれて本2冊と着替えなどをお持ちする。
須崎さんが漫画部の人たちを連れて、一ツ橋寮へ来るというので、漫画サンデーの遠山さんと待っている事にする昼を過ぎてもこないので、電話を入れると、まだ出ていなかった、すぐ来るよう依頼して、須崎さんと交代して3時社へ戻る。5時過ぎ給料を受け取る。島方室長を新大久保駅までお送りして、一ツ橋寮へ行く。須崎さんがパレスホテルへ行っていたので、夕食をとって待つ。9時須崎さんと交代する。少年サンデーの岩淵さんを乗せてパレスホテルへ行く。夕食を買ってくるよう頼まれる。一ツ橋寮で寿司を取り、それにお茶をつけて、パレスホテルへお持ちする。少年サンデーの作業は1時過ぎから始めて、2時半には終わる。手塚先生を乗せ3時社へ戻り。3時半泊まる。

 3月11日 土曜日 天気晴
9時半起きる。昨日調子が悪かった車を修理に出す。島方室長から松竹本社までのんびりでいいから契約書をとりにいって欲しいと頼まれる。車が修理中なので電車で出かける。帰り丁度封切りの「One Million Years B.C」の映画を見て3時ごろ社へ戻る。宮下さん、大島さんと定時で仕事を終わり、帰宅南浦和駅から徒歩で帰る。9時風呂11時寝る。
 
「悟空の大冒険」 10話 ハートでいただき

 3月12日  曜日 天気雨のち晴
11時ごろまで寝ていた。12時映画を見ようと浦和駅へ行くが、気が変わって、池袋まで買い物に行く事にした。電車で偶然高校のとき、音楽部を作ったときの友人高橋君とテニス部のときの先輩たちとあった。池袋のデパートで歩きまくっていると、暑くて気分が悪くなってしまった。帰宅して横になってテレビを見ているうちに寝てしまった。夕食後11時過ぎ寝る。

 3月13日 月曜日 天気晴
遅刻してしまう。1時島方室長須崎さんとヘラルド へ行き その後セントラルそして渋谷パンティオン、新宿の等級会館へと行く。喫茶店で一休みして5時半社へ戻る。少年サンデーの岩淵さんの件で、島方室長と岩淵さんの家に行き、タクシーで中村橋駅まで出て9時半帰宅する。11時風呂 11時半寝る。 

 3月14日 火曜日 天気晴
手塚先生は原稿が上がったので1時まで寝ている予定朝のうち床屋へ行く。1時セントラルまで出かけるが、大野石油でオイルと水をチェックする。千川通りへ出る手前で富士見台駅方面から出てくる車を認めてクラクションで注意を促す、一時停止なので当然とまると思ったが、おかしな雰囲気なので再度クラクションを鳴らして注意するも、急に飛び出してくる。注意していたので急停車して難は逃れたが、あまりの無茶な運転に車の運転手に文句を言いに行く、女性のドライバーであった。後味が悪く後悔した、「あんなに強く言わなければ良かった、なお畏縮してして事故など起こさなければ良いのだが」と心配した。3時社へ戻る、歯医者へ行く。5時半帰り私宅をしていると小学館の責任者の人たちが、謝りにおいでになる。 木曜日(金曜の明け方)編集の人が手塚先生がいつになっても戻ってこないのでみんなで、飲みに行ったが、明け方帰ってきたため、母屋は戸締りがしてあった、酔った勢いもあってか、トイレの窓から侵入して編集者用の部屋へ泊まった、そしてその足跡を見つけた、お手伝いさんと奥様たちが騒ぎになった。その事件のことであった。それでお茶をお出ししたりしていて7時を過ぎてしまい、車で帰宅する。8時過ぎ夕飯10時半寝る。

実験映画のページを作ったときに漫画部の人たちが手伝っていた事を思い出した。
下村 進(下村風介 手塚先生が書いた漫画の主人公の名前は彼のニックネームから取った)さんなどのことを思い出して、検索してみた。
 そしてブラックジャックを語る9話の中でこんな文章を見つけた。

 『アトムクラブ』のカットなんか描いてもらってましたけど、ついに漫画は一本も描かずに故郷(宮城だったか?)へ帰りました。10数年前、突然うちへ来て「今、夏は網戸の張り替え、冬は焼芋屋で、大宮の親方のタコ部屋に居るんだ」って言ってましたけど、今頃何をしてるのか?漫画のフースケ同様、飄々とした気のいい男で、『カッパコミックス』の T氏、『少年サンデー』のI氏と気が合った四人でよく飲みに行きました。I氏が明け方歩いてアパートに帰る途中、疲れて手塚邸の編集部屋で寝ようと トイレの窓から侵入し、朝悦子夫人が廊下の足跡を見つけて大騒ぎになって いる頃、一緒に飲んでいたわら三人は、フースケのアパートで寝てました。あれ以来I氏とも会ってないけれど、担当を辞めさせられただけでなく、 小学館も辞めさせられたのだろうか? それともまだいるんだろうか?だからあの時「フースケの所に泊めてもらおう」ってあれだけ誘ったのに。青春まっただ中の、めちゃくちゃ時代の思い出の一つです。
2週間後にこのページを作っていたが、偶然てあるのだなと、古文で言うところの「いとおかし」 を感じた。

 3月15日  水曜日 天気晴
車の窓が開かないので、八起自動車間で修理に行く。部品取り寄せで入荷したら電話を貰う事にして、社へ戻る、手塚先生は病気だと言う事で、昼を過ぎても起きてこれなくて、朝から第7作の件で打ち合わせで待っている黒川さんらが、いらいらしているのが分かった。夕方八起自動車から、部品が入荷したとの電話が来て、修理に持っていく。社に戻っても、する事がなく、電話番をしていたが、5時、手塚先生が起きて来られた。
定時の5時半会社を出て7時前に帰宅。10時半寝る。
 
「ジャングル大帝 進め!レオ」24話 火山島の冒

 3月16日 木曜日 天気晴
9時には出社、すでに少年サンデーの編集者が来ていた。黒川さんらも来て電話で打ち合わせなどを始めた。11時玄関先駐車場の前で車の掃除をする。先生の長女のるみ子ちゃんが玄関から出てきて、お手伝いさんの小島さんを呼びながら外へと駆け出した。危ないのですぐ追いかけ、泣いている、るみちゃんを抱っこして、お使いに行った小島さんの後を追いかけて、連れて行ってあげた。12時昼食を外で食べる母屋へ戻ると、交代で昼休みをずらす約束が、女性陣がいないと島方室長が探していた。部屋へ行くと、誰も居らず、ただ先生1人が原稿を書いていた。昼休みにはスタジオの皆に会いたくて外に行きたかったが、先生に電話番をしていただくわけにもいかないので、昨日購入した小説ジュニアー「さわやかな朝」を読みながら電話番をする。一時部屋の皆が戻ったので交代して庭で誰かがあけた穴へゴルフボールをバットで入れて体をほぐす。その後車にワックス賭けをしていると島方室長が一緒に松竹まで行こうという、サンケイの原稿が丁度上がり須崎さんの変わりに急ぎ漫画サンデーの遠山さんを乗せ出発する。サンケイを届け遠山さんを会社まで送り、松竹へ行く。帰りフジテレビの喫茶店でケーキとクリームソーダーを飲み休憩する。4時半社へ戻り5時半帰る。7時帰宅8時食事、9時半風呂、10時半寝る。

 3月17日  金曜日 天気晴のち雨
昼に小松左京さんが来社する。少年サンデーあげの日なので1時間以上のお話し合いに、編集者の顔色が変わっていた。少年サンデーが上がるまで先生につく事になって、貫徹する、2時過ぎて少年サンデーが上がる。引き続き漫画サンデーをあげる。7時に上がって、手塚先生とリボンの騎士のフィルムを見る。「映画でも見てきなさい」と、先生から、小遣い千円を頂く。アシスタントの石田君を家まで送ってあげて、8時半仮眠を取る。

 3月18日 土曜日 天気雨のち晴
9時半須崎さんが出社した物音で目が覚める。横になっていたが、がたがたしていたので、10時半起きて部屋に戻る。定時で帰宅 、7時夕飯、9時半には寝た。
 「悟空の大冒険」 11話 どっちもどっち

 3月19日  曜日 天気快晴
4時ごろ地震があった。昨日早く寝た成果、9時には目が覚めた、布団に入ったままで11時まで横になっている。お昼を食べた後、映画を見に行く。「アラベスク」と「ドクトルジバゴ」 の2本立て、ドクトルジバゴは長い映画だったが、よい映画だったと思う。バスで帰ろうと思ったが、10分以上も待たなくてはならないので、徒歩にて帰る。食事をした後テレビを見て9時半寝る。

 3月20日 月曜日 天気晴
7時45分目覚める。8時16分南浦和駅始発の電車に間に合わず、次の電車へ乗る。赤羽駅で36分の電車に乗り換えて、池袋乗換え西武線56分の電車で9時丁度富士見台駅徒歩にて、9時13分タイムレコーダーを押す。車の洗車やワックスがけなどをする。3時須崎さんが羽田まで出かけたので、先生を、漫画部まで数回往復する。8時15分車で会社を出て8時45分帰宅テレビを見て夕食、10時半風呂、11時寝る。

 3月21日  曜日 天気晴のち雨 祭日
9時に車で出社、手塚先生は10時半まで休息、一人だったが電話もあまり無くて別に忙しくもなく、漫画部へ数回行ったぐらいであった。3時お母様、奥様、まこちゃん,るみちゃん、を乗せて、お寺参りに行く。4時半には社へ戻りる。5時半電話交換の子を草加の彼女の家まで送る7時彼女の家から自宅へ8時前に帰宅テレビを見たりのんびりギターで作曲したりした。12時過ぎに寝る。

 3月22日  水曜日 天気晴
9時半目を覚ます。昨日祭日出勤の代休なので布団に入ったままテレビを見ていた。12時半お昼を食べて、映画を見に行く。「荒野のプロファイター」 4人組がドタバタして宝を探すと言うお話 「エル・ドラド」 ジョン・ウェイン主演の西部劇 リオ・ブラボーの続編みたいだと思った。「ミネソタ無頼」 めくら*注 になった男が悪人をやっつけると言うお話。6時半に帰宅テレビを見ていると母が帰ってくる。「ジャングル大帝」もそろそろ尾張というせいか、なんとなく見ていても寂しく感じる。8時半夕食、9時風呂、日記をつけて10時半寝る。
 
「ジャングル大帝 進め!レオ」25話 王城に陽は昇る

*注私はすべての差別に反対です。ですので、言葉の差別にも、反対しております、言葉は歴史で培われたものです、言葉に罪はありません、禁止用語は使う人の使い方で差別が起こると信じておりますので、当時のまま表示します。

 3月23日  木曜日 天気晴のち雨
9時出社手塚先生は缶詰になっていた電話を取ると光文荘へ至急来て欲しいという連絡、宮下さんたちが来るのを待って10時に光文荘へ向かう、12時半手塚先生がいるホテルニュージャパンへ 大方さんを乗せて原稿を届ける。帰り電話で島方室長と打ち合わせヘラルドへフィルムの返却と契約書を貰ってくる、セントラルでもフィルムの返却を求めに行くが、すでにミラノ座へ届け済みとのことであった。ホテルニュージャパンヘ大方さんを迎えに行くとすでに光文荘へ戻られていた。原稿あげのために、アシスタントが詰めている、光文荘とニュージャパンを数回往復回収したフィルムを須崎さんに取りによこすとの電話があり、ホテルニュージャパンの外で待つが、あいにく雨が降り出していて風も強く吹き大変寒かったが1時間半も待たされてしまった、その間に大方さんの原稿が上がり光文荘に届けに行くとそこに須崎さんが島方室長と来ていたので、フィルムを渡す。その後も数回往復する。 夜手塚先生とワンダースリーの頃の事や、私が「竹取物語」をやりたい事。将来「エンジェルの丘」や「キャプテンケン」を企画させて欲しい事。先生の「ファースト」を企画したい話などを話した。5時あと2ページまでとなったが、眠すぎて朦朧となり「どうしてもねかせてくれ!」と言われ。鬼の私も1時間ほど内緒で寝ていただく。6時に起きていただき、7時半上がる。漫画部のアシスタントの下村さんや小室さんを乗せて送り社へと戻る。

 3月24日  金曜日 天気晴
島方室長は大阪へ出張手塚先生は昨日のまま、ホテルニュージャパン、いつもなら、鬼の居ぬ間のだが、電話が多くて応対に忙しい思いをした。手塚先生は2時に戻られたがすぐに漫画部へ行かれて、原稿に取り掛かられる。5時半過ぎ後を須崎さんにお願いして、宮下さん大島さんを車に乗せて、家まで送り、そのまま帰宅する。テレビを見ていても大変眠くて、9時に風呂へ入り9時45分には寝る。
    このころ手塚先生から1通のはがきを渡された3月23日の消印で豊島区長崎のなら まさひろくんからで 手塚 治虫宛てで有ったが、内容が、「手塚先生の所で働いているめがねのおにいさん、この前サインがほしいとさわいだ、しいな町の奈良 まさひろです。この前は、すいませんでした。色紙は、大事にしてあります。こんど有名なマンガ家のサインをあげるから、かんべんしてください。(ちばてつやか、石森章太郎のどっちか)と言う内容のはがき沢山のファンが家を尋ねて来られ、サインを求められたが、忙しい先生は、とてもあう時間が取れなかった、そこで、尋ねてきた人たちに、優しく対応するのも、私たちの仕事の一つであったが、こんなはがきを貰うと、思わず、抱きしめてあげたいような、感動を、覚えたものだった。

 3月25日 土曜日 天気晴
さすがに今日は眠かった。9時には社に着く。11時松竹セントラルで島方室長と落ち合い、火山映画の「地球は燃える」を見る。一時昼食をご馳走になって、社へ戻り暇であったので第2スタジオのリボンの騎士班へ遊びに行く7時同期入社のナベ子さん(渡辺)とボウリングをやろうと2人でハタボウルへ行くが満員で待ち時間が我慢の限界を超えている。何軒か回ってみるもどこも同じ、今日は土曜日であった。食事でもしようかと探しているうちに浦和まで来てしまっていた。途中でパンを買って食べ浦和ボウリング場へ行ってみる。やはり満員、弟に会いあきらめて一緒に10時半彼女を送っていく。11時風呂に入りもう一度弟とボウリングへ行く、やっと初めてのボーリングが出来る。スコアーは、90、90、107、127、初めてにしては良いとほめられる。2時過ぎてしまったが帰宅してすぐに寝る。
 
「悟空の大冒険」 12話 ぼくはコブコブよ

 ナベ子さんは同期に入社しました、紅一点で作画班に入りました。ワンダースリーの頃から、仲間でよく遊びましたが、私は彼女を仲間としてしか見ていませんでした。ですから真夜中中引っ張りまわしても、面白くわあわあ騒いだだけでした。日記で食事などせず、パンを食べさせていたなんて、なんてデリカシーのない私だったのでしょうか。  後日手塚先生の部屋で男同士で雨夜の品定めのときに虫プロの3美人に名前が上がった人でした。今の私では考えられない事です。そんな青春でした。

 3月26日  曜日 天気晴
10時起きて、寝巻きのままで、家の前に駐車してある車を、違反にならないようどけてくる、そうしてまた布団に入る。11時部屋の掃除を始める一時ベットを購入しようと丸井へ行く。3時また部屋の掃除をする、8時半やっと終わり食事をして9時半風呂、詩作りなどして、10時半寝る。

 3月27日  月曜日 天気曇のち晴れ風強し。
9時出社 車のオイルチェンジをする。
10時劇場にあいさつ回りをするために出かける、虫プロ商事に寄ったところで、島方室長が、用事があったことを、思い出し一時過ぎに社へ戻る。4時過ぎ手塚先生はNHKの、テレビ出演に出かけられる。
5時半定時にて、大島さんと退社。帰路につき7時帰宅、部屋の掃除8時半テレビを見ての食事11時風呂11時半寝る。

 3月28日 火曜日 天気晴
午前中床屋へ行く
午後お母様と大島さんを乗せて、お母様を渋谷の東映までお送りして、大島さんと、渋谷パンティオン、新宿ミラノ座へ、あいさつ回りをする。帰りに長瀬産業へフイルムを取りに行き5時過ぎ社へ戻る。お父様の部屋へ行き、免許証用に、撮って頂いた写真を頂いて、車で7時帰宅する。母が外出するのですぐにテレビを見ながら食事をして9時には布団を敷いて、11時寝る。

 3月29日 水曜日 天気晴
9時に起き、軽い朝食をして、警察に免許証の書き換えの手続きに行く、4月の27日に出来上がると言う。帰宅して車を置いて、映画を見に行く。デズニーの「バンビ」、「マルコポーロの大冒険」、「バットマン」、の3本立て、学校が、春休みになっていたので、子供が多く、大変騒ぐので、せりふが聞こえず、イライラさせられた。でも「バンビ」はやはり良い作品で、時代の流れを感じさせない、映画であると思った。4時半帰宅。ベットと椅子が届いていた。部屋を片して掃除して、週刊誌を買ってきて読んで、一人でテレビを見たりしていた。7時母が帰宅、8時半食事、9時半風呂、10時この日記を書き、10時半寝る。
 
「ジャングル大帝 進め!レオ」26話 ムーン山よ永遠に

 3月30日  木曜日 天気曇のち雨
8時起きる、母を吉岡さんの家へ送って、社へ9時着く。先生の(須崎さん)車が駐車場になかった。聞くと、手塚先生が、大阪からの帰り、伊勢丹での講演があるのでそちらへ向かったと言う。島方室長も直接、会場へ向かわれていた。
風邪を引いたらしく寒気がする。
2時手塚先生たちが、お帰りになる、手塚先生は、雑誌が遅れているので、すぐに取り掛かられた。5時半定時にお母様を、厚生年金会館まで送り、須崎さんを送って社へ戻る、漫画部のアシスタントの人たちを、母屋へ呼んで雑誌の作業をする。
風邪の具合がますます悪くなる。10時手塚先生から「もう結構です」とお許しが出て、帰路につく、池袋で雑誌を買う、南浦和駅からタクシーで帰宅12時食事1時前寝る。

 3月31日  金曜日 天気晴
文章 風邪をひいて12時まで寝ていた。
昼に弟が帰ってきた。3時食事をしているとまた弟が帰ってきてインスタントラーメンを食べ、また仕事へ行った。テレビで映画「地下鉄のサジ」を見た。古い映画だが面白く良い映画だった。夕食後ベットでテレビを見て9時半消して、10時寝る。


1967年 4月
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 4月 1日 土曜日 天気晴
風邪気味で会社に着いたのが10時過ぎ、朝礼が終わったところであった。車を小柳さんに貸したので、暇であった。明日出勤要請があり,吉村君たちとのハイキングは、行かれなくなってしまった。6時過ぎ「リボンの騎士」の前夜祭へ行く。隅のほうで、小さくなって見ていたが、大変面白かった。9時手塚先生を乗せて社へ戻る。10時帰宅する。電車事故のニュースで,番組の放送時間が送れ、「ダニーケイショー」を見たので、2時過ぎに寝た。
「悟空の大冒険」 13話 王様はユーレイ

 4月 2日 曜日 天気晴夜になって雨
10時弟を蕨まで送り社へ向かう、沿道には桜の花が咲いていた。11時二会社に着く。子供の何かの会の卒業式の手塚治虫の講演があり。伊勢丹まで先生を、お送りして付いて行く、講演の後、今日放送の「リボンの騎士」の映写会をする。その後ダイヤモンドホテルでとりおこなわれる、正延宏三さん かおるさんの結婚式へ先生と出席する。大変楽しい雰囲気で有った。その席で、入社以来、兄としたっていた、カッパさんが(富岡 厚)なんと正司さんと二十何日かに、結婚する事を知りびっくりして驚いた、大変うれしく思い、祝福したい。6時社へ戻り、第2スタジオ,2階へ行って、カラーテレビで6時半からの{リボンの騎士」の放送を皆と見て、話をしたりして、7時半になってしまい、急いで、車で帰宅する。8時帰宅、食事をして、9時からはレコードを聞いたりする。11時寝る。 
「リボンの騎士」がフジテレビで放映開始( 〜'68年 4月7日)
「リボンの騎士」1話 王子と天使

 4月 3日 月曜日 天気雨のち晴
車で出社9時に着く。須崎さんがお休み。
11時高橋経理部長を同乗虫プロ商事に行く。一時草加のシュリルラボへフィルムを届ける。帰り疲れたので自宅へ寄る、休んでいると、母が帰宅して、何かあったのかと驚く。4時自宅を出て4時45分社へ戻る。何事もなく6時会社を出て、電車にて帰路に着き、池袋のデパートで、ハニーワインの2本入りセットにかわいいグラスがついていたので、買って7時半帰る。テレビを見る8時半夕食(またカレーでもう食べあきた)10時風呂、ギターを弾いたりした。11時布団に入って日記をつけている、11時半寝る。
 百田さんの詩を少し読んだ、一時寝むれない。ウィスキーを飲んでみたが、目が冴えていて寝むれない。2時まだ眠れない。

 4月 4日 火曜日 天気雨のち晴風強し
電車で出勤、手塚先生は貫徹明けでまだ寝ておられた。車を洗車する。昼休みにリボンの騎士班で、休憩していると、島方室長から呼ばれて、前に手塚先生に見せてもらった、購入した土地を見に行った。500坪以上あると思われる広い土地である。社へ戻ると、手塚先生は、スタジオで会議中とのこと。4時半長野さんがお見えになり、手塚先生を、迎えに行く、探すと、第2スタジオの「リボンの騎士」で打ち合わせをしているところであった。5時手塚先生は長野さんを同乗してお出かけ。定時の5時半社を出て7時半帰宅。11時寝る。

 4月 5日 水曜日 天気晴
8時家を出て8時16分南浦和発の電車で社へ向かう。早めに着き部屋へ行くと。手塚先生は、貫徹明けで、まだ寝ておられ、校條さんが一人居られた。10時車を磨く。手塚先生と島方室長と打ち合わせが終わり11時半長瀬産業へフィルムを購入に行く。日活ビルの第一フィルムからフィルムを引き上げる。著作権協会へ「展覧会の絵」の曲の問題で、お話を伺いに行く。2時半社へ戻る。手塚先生は、虫プロ商事へ行かれていた。5時半社を出て7時帰宅。テレビを見たりする。吉村君のまねをして、動画の勉強をする、センスがないのか、絵が下手だ。10時半あきらめて寝る。

 4月 6日 木曜日 天気晴
8時16分発の電車に乗る、昨日赤羽での電車をひとつ前の電車に乗ることが出来、結果、社へ早くつけることが分かる。すぐに床屋へ行く。10時半部屋へ戻ると、視聴率のことで役員たちがもめていた。「緊急役員会議」が発動されて、役員や各班のプロデューサーはじめ現場の実責任者のアシスタントプロデューサーに集合がかかり、11時前に始まって、食事もなしに2時過ぎまで、母屋の2階で開かれた。その後で手塚先生から「展覧会の絵」の最後の実写部分をアニメに変える、制作を指名され、撮影の山浦さん原動画の杉山卓さんとの打ち合わせに入る。スケジュール表を作成する。定時で帰宅、7時前家に着く母が旅行に行ったので一人で食事、テレビをつけたまま、動画の勉強、ハニーワインを飲んで10時に日記をつけて、のんびりとして11時過ぎに寝る。

 4月7日 金曜日 天気晴
昨日と同じ電車で9時出社。
松浦さんと著作権協会へ行き、16mmの「展覧会の絵」をお見せする。皆さんに大変好評であった。12時半社へ戻り、食事を取る。午後手塚先生と島方室長に報告をする。その後は電話の応対、リボンの騎士班へ遊びに行ったりする。漫画部との間を往復、貫徹となる。

 4月 8日  土曜日 天気晴
昨日から貫徹。あさ6時手塚先生から9日のピカデリーの招待券を貰う。8時社を出て草加のシュリルラボへ向かう、四号国道で松竹本社へ行き島方室長と落ち合う、教育連盟により12時半社へ戻る。帰宅の許可が下りていたが、高橋経理部長からフジテレビへ送ってくれないかと頼まれて、フジテレビへと向かう。帰りスピードを出すのでブレーキの減りが早く、ブレーキ調整をしてもらうために、八起自動車へより、調整が終わるまで、やっと1時間ぐらい車の中で寝る。車で7時帰宅、母が旅行より帰っていた。12時寝る。
 
「悟空の大冒険」 14話 ガジババと40人の盗賊

 4月 9日 曜日 天気雨のち曇
12時起き食事2時前車を社へ戻しに行く。富士見台駅から電車で、昨日手塚先生から頂いた、映画をピカデリーまで見に行く。「The Sand Pebbles」 Steve McQueen主演の映画、で 1926年揚子江でのアメリカの砲艦サンパブロに、まつわる冒険活劇映画で心打つ、良い映画であった。なを監督は「ウェストサイド」「サウンドオブミュージック」のRobort Wise 電車で浦和駅へと帰り6時37分のバスで7時半帰宅、9時風呂、11時寝る。
「リボンの騎士」2話 魔王登場

 4月10日  月曜日 天気雨
雨が降っているのにいつまで待ってもバスが来ない、タクシーを捕まえる事が出来て、タクシーで駅まで行く、9時過ぎ出社島方室長が旅行へ行っているので、用事もなく、八起自動車へラジオを取りに行ったぐらい。12時半経理に頼まれて、第一銀行、大和銀行へ社員の給料を取りに行く。前よりつけられているような気がして、運転席の横に、買って置いたスリコギ用の大きめの棒を置いて、十分回りに注意して、取りに行く。5時給料が出る。定時社を出て、7時半帰宅、テレビを見、食事して、9時風呂、11時寝る。
     
 4月11日  火曜日 天気雨のち曇
当てにならないバスは待たずに駅まで歩いていく、京浜東北線が遅れてやっと赤羽に着く。
午前中は別に何事もなかった。午後神田方面へ行くが戻ってからも用事もなく、リボン班へ行ったりしていた。定時社を出て帰路に着き、丸井で、1万円支払いを済ませ、6時半帰宅。テレビを見ながら食事、布団の中で9時からの「木下恵介劇場 「今年の恋」」見る、今回で終わってしまった、がっかりしてつまらない。10時過ぎ寝る。
   
 4月12日 水曜日 天気曇
出社してすぐに車の洗車をして入ると、電話が入って、教育連盟に直接行った、島方室長のところへ行く事になる。10時社を出て11時半到着その後渡辺さんとへらるどへお連れする。その間に長瀬産業へ行く。食事の後ミラノ座へアンケート用紙を回収に行く。6時半社を出て7時帰宅。9時風呂テレビを見て11時寝る。

 4月13日  木曜日 天気曇
8時過ぎ車で社に向かう、8時45分には社に着き車内で、レコードを聞いていた。
11時から島方室長と教育連へ、ヘラルド、パンティオン、セントラル、へアンケートの回収など、2時半社へ戻る。第2スタジオへ行ったりして、定時で電車で帰る。池袋で軽い食事、日記帳が終わるので探してみるが、良いのが見つからず、帰る。7時半帰宅。テレビを見、8時夕食、10時風呂、11時寝る。

 4月14日 金曜日 天気天気晴 昼間暖かけれど夜は寒し
定時出社、11時より一人で教育映画制作者連盟へ劇場用アトム(日活)を届ける。ヘラルドへより島方部長の河野宛の書類を届け展覧会の絵のフィルムを引き上げる。松竹本社の海外映画普及へよって16mmの展覧会の絵のフィルムを引き上げる。2時帰社2スタ、リボンの騎士班で昼食 社長室に戻り5時から7時半まで役員会議あり。社長車の運転待機を須崎 と代わり残業となる、杉山 卓見える。手塚治虫夕食後漫画部へ、送る社長室待機、長原見える。島方社長室長が役員会議から戻られて長原にフィルムを渡す。10時過ぎ手塚治虫からの電話で杉山卓と富士見台駅前の漫画部へ行く1時半少年サンデーが終わり手塚治虫社長を乗せて社長室へ戻る。先生も一息つかれて今度の新人募集のことなどお話して2時過ぎリボン班へ一人行く吉村 昌輝とかぐや姫のソノシート(レコード)を聴いて将来作りたい作品の事などの夢を語り明かした。4時過ぎ手塚治虫自宅の車庫に置いてある私用の社用車にて寝る。
うたは わがむねに おおきくふくれ
部屋のなかに みちあふれ
ちいさく ひらかれた まどべより
あおきそらへと 流れいずる。

木々のこずえより
さえずる小鳥らも
その歌に、声を合わせる
風は野に満ちて 花をやさしく撫でて行く
草花は歌とともに踊り行く。

野辺に集う若人たちよ
さあ踊れ!! 恋人たちよ
さあ歌え!! 愛の歌声高らかに

青い空は、君らのもの
緑の丘は、僕らのもの
小鳥よ おいで けものたちも

さあ踊れ!
さあ歌え!
若人のうた 若者の踊りを。
    
 4月15日 土曜日 天気晴 夜寒し
車で寝ていたが9時15分タイムカードを押しに行く。定時の9時半を過ぎても一人も出社して来ない、今日は選挙であったと思い出す。10時手塚先生が起きてきて、島方室長と教育映画連盟にておちあうためにお連れする。11時過ぎには、島方室長と日本ヘラルドへ行き打ち合わせ渡辺さんを教育映画連盟へ送って、コロンビアへ展覧会の絵のフランス語のタイトルを調べに行く、一時帰路に着き二時帰社昼食をとる。展覧会の絵の修正版(エンドの実写をアニメに変える作業)で動画用紙、タップ、鉛筆などを資材で準備をする。スポッティングでスコアが必要と連絡入り第五スタジオ撮影の山浦さんへ尋ねにいくと松浦さんの自宅にあると言うので東長崎の家まで取りに行き、音響の田代さんに渡す。選挙に間に合わせようと社用者を借りて5時半社を出る6時15分間に合わず
帰宅。浦和学習院の倉林院長に8ミリ映写機をお借りして7時帰宅、出来上がった母の踊りの8ミリを母と見る。悟空の大冒険を見忘れる。8時家で夕食テレビを見る9時風呂、1時からのダニーケイショーを見て寝る。
 「悟空の大冒険」 15話 あけてびっくり
ベットのそばの めざまし時計
台がかけてて 御菓子の箱につけてある。
めざましねじも 折れていて 
それでもまいにち 時間を告げる。

電気を消して 眠りの精が

チクカク チクカク 御菓子の箱に
チクカク チクカク 響いて耳をくすぐる。

正しく刻んで チクカク チクカク
子守唄を チクカク チクカク
歌ってる よーに チクカク チクカク

 4月16日  曜日 天気雨
11時におきて 軽い食事を取り、映画を見に行く。「キンカム」 「続黄金の七人」 「帰ってきた用心棒」 の3本立て、終わったのが6時、外に出ると雨が強く降っていて、非常に寒かった。バスの時間が悪いので、本屋さんへより、月の宮まで歩く、神明台行きのバスで帰宅。テレビで「リボンの騎士」などを見、8時夕食、テレビを11時まで見る。
「リボンの騎士」3話 武術大会
紅い唇 黒い髪          泉のようなその瞳
 大きな瞳が笑ってる        私の笑顔が写ってる
  白い君の手差しのべて       そっと触れた黒髪に
   風に吹かれて飛んできた       恥ずかしそうに目をつぶる
    春風の様に可愛い娘          春風の様な可愛い娘

 4月17日 月曜日 天気曇
8時15分、車で出社、早く着いたので、車の中で、聞いていた。総務課が慰安旅行で社長室の者も一緒に行ったので、須崎さんと、2人で、電話の応対をする。昼食後「展覧会の絵」の仕事もする。6時過ぎ車で帰宅につき、倉林さんへ寄って、7時半帰宅する。テレビを見たりして、10時に風呂へ入り、11時寝る。
山 川 谷 丘 時は春
花咲き 鳥鳴き 風そよぐ
遠い山 近い山 その間をぬって
川は流れる。
谷間にせせらぎ 木霊して
丘には 花咲き 鳥歌う
山 川 谷 丘 時は春
時は動かず
夢見るごとく。

 4月18日  火曜日 天気晴のち曇
8時10分 母に起こされて目を覚ます。電車で帰るので、倉林さんより借用した、8mm映写機を帰しに行く。浦和学習院にはまだ誰も居らず、部屋へ置いてくる。社へ向かい、9時過ぎ部屋へ入る。手塚先生はすでに、部屋に居られて、フアンレターなどを読んでおられた。いつもは私たちが、先にチェックして、手塚先生が見て不愉快になるような、手紙は、お見せしないようにしているのだけれど、そのことを知っているので、たまに早起きして、手紙を読んでしまう。そして批判的な手紙に限って、すごく気にして、落ち込む。今回もそんな手紙がないことを祈って、外で車の手入れをする。ガレージの2階に、立てた時に運転手が住み込みで働けるようにした、部屋がある。そこに手塚先生の、今までの原稿や、資料などが整理されておいてあるが、そこで資料を探して、見ておられた。定時の9時半に須崎さんが来たので、社長室へ戻ると、大島さんも来ていた。昨日の白浜旅行のお土産を須崎さんは、宮下さんから貰い。私は大島さんから、頂く。島方室長が見えたところで、打ち合わせをする。手塚先生の学生時代の学校の先生が遊びに来られた。手塚先生は雑誌の仕上げの時間が迫っていて、お相手できる状態ではなく、困り果てましたが、それでも手塚治虫と言う人は、ああいう人なので、無下に断る事もしないで、逆に、歓待する。12時食事に出て、12時半に部屋に戻るが、まだお帰りにはなっておらず、食事の支度をした、お手伝いさんが、昼食をお出しするために、運んでいた。島方室長からもお土産を貰い、「これでは、行かなかったほうが、だいぶ、得をしたな」といったので、皆が笑った。手塚先生の接客が終わったが、虫プロ商事へ行く時間になっていたので、お客様を同乗して、お出かけになられた。2時まで「展覧会の絵」のスポッティングの件でスタジオを回る。作画の杉山 卓さんがお見えになってくれたが。外出せねばならず、島方室長の用事で明治製菓の2.6ビルへ行く。2.6ビルと言うのは2丁目6番地の略であった。そこから松竹本社に有る、海外映画普及協会へ預かった手紙を届けに行く。5時半社へ戻り、島方室長と連絡を取り、総務からもお土産を貰って、家に帰る。途中倉林さんへ寄るが、また誰にも会えずに、7時前帰宅する。テレビを見ていると、母が帰ってくる。すぐ夕食をする。弟がギターの練習をしていたが、だいぶ上達した。10時までテレビを見る。この日記を書くのに、30分以上掛かってしまった。11時寝る。

 4月19日  水曜日 天気雨
雨が降っていたが、直ぐに止むだろうと思って、傘も持たずに出勤する。9時社長室へ入ると、手塚先生は、仕事をしており、9時45分には、パスポートの手配で、外出される。10時島方室長がお見えになリ、午後から一緒にで掛けようと言われる、午前中に、「展覧会の絵」に修正版のための、フレーム、動画用紙、鉛筆、などをそろえておく。一時15分前に、社を出て、ヘラルドへ契約書を作るために行く。駐車場も無く、駐車禁止であったので、車で待つ、駐車違反の取締りの巡査が、何回も回ってくるので、大阪ビルの周りを、1時間以上、回っていた。海外映画普及協会へ貸してあった「鉄腕アトム」のフィルムを2時45分に引き取りに行くが、また道路で、5時過ぎまで、待つ。明治製菓へより、5時半社へ向かい7時社に戻る。手塚社長に報告してから、帰宅につき、7時半過ぎ、帰宅。食事して、10時風呂に入り、11時寝る。

 4月20日 木曜日 天気雨のち晴
朝 「もう15分だよー」と言う、母の声で起こされる。雨の音が激しく聞こえる。車で9時に出勤する。宮下さんから、東洋現像所へ「ワンダースリー」のフィルムを取りに行って欲しいとの依頼があって、行く事になる。富士見台駅で本橋君が運転する車と出会う。同じ東洋現像所へ行くと言う。どちらが早く着くか、競争になる。五反田を通りすごすミスをして、少し遅くなったが、フィルムとネガを引き取って、車に積み込んでも、本橋君はまだ来なかった、余裕で食事に行き、戻る途中、バッティングセンターで腹ごなしに一ゲーム(30球)する。12時30分車に戻ると、すでに本橋君は帰っていた。大回りになるが、浜松町方面で、帰ることにして、品川あたりで、窓に手紙があるのに、気が付く、CXへ寄ると書いてあり、CXへ向かう。CXで本橋君と会う事が出来て、コロンビアへ行く用事を、引き受ける。2時半、社へ戻る。定時で帰り。7時半電車で帰宅する。9時風呂に入り、10時半寝る。

 4月21日 金曜日 天気晴 雲が多くて暖かい。
電車にて9時出社、前日までの雨で汚れた車を洗う11時半社へ戻り、12時食事をする。部屋へ戻ると杉山卓さんより電話があったとのこと、第2スタジオへ行く、とテープレコーダーがないかとのことであった。スポッティングから時間を取って、スコアとテープを合わせスポッティングのカットナンバーと合わせようということらしい。2時半ごろまでその作業のお手伝いをする。3時前に島方室長をより草加のシュリルラボへ、ネガを届けてほしいとのことで3時に会社を出る。四字フイルムを届け、西川口や大宮まで古本屋を探しながら行く、6時半過ぎに帰宅する。古本屋を探すためにきょろきょろとさがしたためか、目が痛くて気持ちが悪くなってしまった。10時風呂へ入り 11時寝る。

 4月22日 土曜日 天気晴風強し 
朝8時半母に起こされ、急いで8時15分家を出て会社へ行く 明日の富岡厚さん正司さんの結婚式とか、ビカデリーなどの打ち合わせをした、午前中は比較的ひまであった午後からは杉山卓さんとの打ち合わせをしたりした。3時半、島方室長を乗せて後楽園まで行った後、交通公社へ行き切符を買った。5時半すぎ社へ戻り、手塚先生に切符をお渡した。ワンダースリーのフイルムを編集の人につないでもらいこれも、手塚先生にわたす。6時半すぎ車にて会社を出て7時家へ着く。テレビを見たり食事をしたりして10時風呂に入って、テレビを1時過ぎまで見て、2時寝た。
 「悟空の大冒険」 16話 59作戦

 4月23日 日曜日 天気快晴
9時掃除機をかける音で、目を覚まされた。9時半布団に入ったままで、テレビを見る。11時食事のために起きる。テレビを見て、時間調整をして、11時15分富岡さんと、正司さんの、結婚式に、出席するために、リボンの騎士班の第2スタジオへ車で向かう。小柳さんが、式場へ車で行こうと言い、車を貸す。小柳さんらと、式場に向かう。 かっぱさんと、正司さんの結婚式は、3時15分から楽しい雰囲気で行われた。正司さんは白のウエーディングドレスでとても可愛く見えた。6時、富岡さんを皆で胴上げ、米粒が、投げつけられたり、天井へぶっつけられたり、誰かが、フォークで背中を、刺したらしいが、無事に終わった。地下鉄で、東京駅まで出て、電車で浦和駅へ、駅からタクシーを使って7時半帰宅。8時風呂に入り、テレビを見た後11時寝る。 

 4月24日 月曜日 天気晴
電車で出社、今週からリボンの騎士が大変なので、リボンの騎士班へ転属の予定であったが、役員室が忙しいので、今月一杯は、両方を兼ねるよう、依頼があった。午前中にリボンの騎士の渡辺プロデューサーと打ち合わせをする。社長室用に預かっていた使用車5067号を返却していたが、今月一杯は借りる事として、2時宇都様宅へお母様と、COMを郵送するので、大島さんを 乗せて、出かける。5時半2スタの広場で、バレーボールを暗くなるまで、やる。電車で帰路につき8時過ぎに帰宅、10時風呂に入った後、テレビを見たり、作曲をしたりしていて、12時を過ぎてしまい、日記も付けずに急いで寝る。         (4月25日午後10時記す)

 4月25日 火曜日 天気晴
電車で9時に出勤、車の中で詩集啄木を、定時になるまで読む。リボンの騎士班2階で、昨日作曲した曲の手直しをギターを弾いてやる。10時前手塚先生が、仙台へお出かけになるので、お見送りに行く。昼休み、皆とバレーボールをする。結構楽しいものであった。社長室で3時半まで仕事、本のセールスの人が来社、リボンの騎士のスタジオのほうへ、案内する。5時15分経理へ給料を取りに行くが、役員が、不在で、出せないといわれる。5時半まで待って「仕方がないから、給料を配ろう」と、はんを押し始めた、所へ、高橋部長が、帰ってくる。給料を頂き社を出る。7時帰宅、9時風呂に入り、12時過ぎに寝る。

 4月26日 水曜日 天気晴
8時半一度目を覚ますが、代休を取ったので、寝ていた、弟が「手塚先生がテレビに出ているよ」と言うので、弟の部屋のテレビを見せてもらう。「モーニングショー」に手塚先生が出演されていた。9時半浦和警察署へ書き換えた免許証を取りに行く。登山用のチョッキを購入する。オリンピアへ映画を見に行く。「戦争と平和」長い映画で、戦争の場面以外は、退屈な映画であった。「メリーポピンズ」Wデズニーの映画で、大変すばらしかった。”子供の頃の夢”そんな映画で、「心の中に何か暖かいものが」の宣伝文句のとおりすばらしかった。5時バスで帰宅。テレビを見ながら、7時に夕食、9時ギターを弾いたり作曲をしたりする、10時半布団に入り、12時寝る。
「モーニングショー」に手塚先生が出演

 4月27日 木曜日 天気晴
電車で出勤富士見台駅近くの富士銀行によって預金をする。9時15分会社に着く。10時半島方室長と、日本ヘラルドへ行き、「展覧会の絵」のフィルムを届ける。後に後楽園の後楽園シネマへ契約に行く。食事をした後、餡蜜を食べた。2時契約が済んだので社へ戻ったが、途中、ちょっと日に迷い、池袋へ出てしまったりした。リボンの騎士班へ行く。3時より役員会を開く。谷寛一さんが手塚先生に会いに来る。定時会社を出て電車で7時に帰宅。テレビを見て7時に夕食、9時半風呂に入り、10時寝ながらテレビを見る。11時寝る。

 4月28日 曜日 天気晴のち曇
朝出勤前に選挙があったので南浦和中学校へ行くが、待ち時間が長いとのことで、選挙をあきらめて会社へ行き9時15分着く。リボンの騎士班へ行く。手塚先生は、ホテルに缶詰になっていた。3時神田君と手塚先生に会うため、ホテルニューオータニへ手塚先生は移られたとのことで、会いに行くが、編集者のガードが固く、会う事が出来なかった。6時社へ戻ると、「リボンの騎士」のフィルム上がりをフジテレビに届ける仕事が待っており、7時高麗さんと小柳さんを送って、8時五反田の東洋現像所へフィルムを取りに行き、CXへフィルムを届けた後、手塚先生に会うため再度、ホテルニューオータニへ行く。9時運転手の須崎さんと会社へ戻る。母屋で4時まで手塚先生が、戻られるのを待ち、絵コンテの修正が出たので、演出家の大貫さんへ置手紙を書いて、5時自宅へ戻り、寝る。
 「新ジャングル大帝 進め!レオ、第6回日本テレフィルム技術賞受賞。

 4月29日 曜日 天気雨のち晴
9時半、弟の部屋からのレコードの音で目が覚める。11時まで布団に入っている。12時会社へ行くが、用事もなさそうなので、家に戻りテレビを見たりレコード鑑賞したりする。5時半会社へ行き、大貫さんの絵コンテが上がるのを待つ、8時絵コンテを手塚先生に校閲してもらうため、社長室に行って、順番を待ち、校閲を受ける。12時再度訂正が出たので、直してもらうため、大貫さんへ絵コンテを届けると、コピーして欲しいと言われて、ゼロックスの部屋に行き、もう誰もいないので、自分でコピーを撮るが、途中でゼロックスが故障してしまう、手はずどうりに、点検するも、直す事が出来ず、手に負えなくなる。そのまま2時半会社を出て、3時前に帰宅。3時15分には寝る。
 「悟空の大冒険」 17話 奥様は妖怪

 4月30日 曜日 天気晴
11時目を覚ます。テレビを見たり、レコードを聞いたりした。テレビで24時間レースも見る。詩を2つ作る。買い物にも行った。5時弟を蕨まで送り、会社へ行く。6時半リボンの騎士班でリボンの騎士の放送を見る。明日のメーデー用のプラカードなどを皆で作っていた。絵コンテの校正が終わったので、手塚先生の校閲を受けに行く。前半の、後は、手塚先生が、疲れてしまっているので、明朝にしてくださいとのこと。一時確保しておいた、寝場所を取られてしまっていた、仕方がないので、雑用をして、6時やっと寝ることが出来た。
 「リボンの騎士」5話 怪物の谷


1967年 5月
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 5月 1日 月曜日 天気晴のち雨
9時起きて、手塚先生の様子を見に行く。9時半総務課へ行き、ゼロックスを、壊してしまった事の報告に行く、10時半リボンの騎士11話の前半のOKが出る。すぐに総務のゼロックスの係りの女性に、コピーを頼みに行くが、ゼロックスの修理が終わるのが、4時過ぎになってしまうとの事。絵コンテに、秒数を入れてくれるよう、依頼する。その他のキャラクターを書いてもらうよう依頼する。カット表を作る。雨が降ってきたので、作画の赤堀さんを、駅まで送っていく。神田君と虫プロ商事の新スタジオ、江古田スタジオへお祝いに行く。帰りにビールを貰って帰ってきた。お酒が飲めないので、総務の木下課長が、守衛室で、丁度お酒を飲んでいたので、プレゼントする。8時から作画の松尾さん宅へ、10時までナベ子と一緒にお邪魔する。小柳さんを送る。手塚先生と、渡辺プロデューサーのお宅まで行く。後半の校閲は、明朝となる。2時過ぎ寝る。

 
 5月 2日 火曜日 天気晴
8時起きて、手塚先生の様子を見に行く。9時半手塚先生が起きて来られる。10時過ぎに島方社長室長と打ち合わせをする、その後、今井専務とも打ち合わせをして、神田君のほうの絵コンテを先に見てもらう、11時11話後半の校閲で、直しが出る。大貫演出に秒数を入れるように依頼をするが、制作との打ち合わせがあったために、遅れてしまう。3時に近くの、大衆浴場へ寝に行き、4時に社へ戻る、各班を召集して、演出家との打ち合わせをする。タイムシート、カット袋、動画用紙、などの準備に入る。6時11話後半の修正した絵コンテを手塚治虫の校閲を受けるため、社長室のほうへ届けに行く。待つ間9時に小柳さんを、送っていく。12時まで、校閲が、終わるのを待っていたが、車で家に帰る。食事をして2時に寝る。
徹夜が続くとお風呂に入れなくなるが、多分毎日、銭湯に行っていたように思う、このときも銭湯に行き、湯船の隅で、仰向けになって、寝てきたのだと思う、長い時は、3時の始まりから言って、12時の終わりまで、寝ていたことも有る。
 余談ながら、3時に風呂に来るのは、お年寄りが、多く、また背中に絵が描いてある、方なども来ていた、そしてその方々と、古くからの、友達であるように、よく取り留めの無い話をした。良い時代であった。

 5月 3日  水曜日 天気晴
母に頼んでおいたので7時半起こしてもらう。8時20分朝食を取り8時半会社へ向かう。9時に会社へ着いて、すぐに社長室へ行く、11話の後半部分の校閲は、まだであった。動画のほうは、まだあまり上がっていなかった。近くの履物屋で、下駄とぞうりを買う。11時車を小柳さんへ貸す。4時、大貫演出と背景の打ち合わせをする。7時、やっと11話後半を見てもらう。再リテークが出たので、2スタの大貫さんへ届けるが、すでに、帰宅していた。小柳さんを送り、9時15分帰宅。夕食を済ませて、10時半寝る。

 5月 4日  木曜日 天気晴
8時過ぎ車で社に向かう、大貫演出待ちで、絵コンテはそのまま、4時になって、大貫さんが見えたところでリテークを依頼する。3時に大衆浴場へ行く。作業が忙しく、泊まりになる。

 5月 5日  金曜日 天気晴
貫徹続き寝る暇も日記を付ける暇もなし。

 5月 6日  土曜日 天気晴
貫徹続き寝る暇も日記を付ける暇もなし。3時過ぎ帰宅する。

前にも書いたように、社長室時代に、手塚 治虫先生の、行動日誌をつける必要性から、メモを取るようになりついでに私の事も、日記に書いておくようになりました。そのために、手塚 治虫の行動については、手塚治虫の日誌と2重になるため、私の日記には、あえて書いてはいませんでした。そのため、手塚 治虫の研究者にとっては、あまり参考には、ならなかったと思います。一応4月で、手塚社長室を卒業できたので、私の日記を、写し取る作業もこれで終わりとなります。
 
 5月に入ると「リボンの騎士」班の制作進行の仕事を始めています、今までの社長室時代とは、だいぶ違い、大変忙しくなり、貫徹続きの日がまた続くようになり、日記を付ける暇の無い日が、続く事になります。
 それでも、その後の日記(リボンの騎士の制作や、展覧会の絵の修正版の制作のことが、少し書いてある)を、見てみたいという人が、居るならば、続いて書いていこうと思いますので、メール、または、掲示板に、ご意見を書いてください。

5月 6日 土
 「悟空の大冒険」 18話 ベロリベロベロ
5月 7日 日
11時起床テレビを1時まで見て出社手塚 治虫と演出の大貫さんとの打ち合わせを4時まで。その後大貫さんから頼まれて手塚先生から、絵コンテについての指示の確認に行くが、雑誌の仕上げ中で待ってる間に自分の仕事をしておく、9時を過ぎたところで、手塚先生の校閲を受ける事が出来少しの修正の指示を受けて、許可を得ることが出来る。大貫さんに修正を依頼する。12時大貫さんらが帰宅。準備などで2時過ぎ、制作室に泊まる。
「リボンの騎士」6話 コビトと巨人
手塚先生の絵コンテ校閲を受けるための待ち時間が 進行にとって大変な仕事の一つであった。雑誌の最終日と重なると何日もなたされて、そのことが、マンネリ化したスケジュールの遅れとなり、制作費の高上へとつながり、手塚 治虫排斥の遠因となっていった。

5月 8日 月
8時寒くて目が覚める。太陽が出ていて暖かそうなので、東の非常口の2階の踊り場で寝なおす。9時半皆が出勤してきたところで、起きる。朝礼があったが、絵コンテとキャラクターののコピーをしておかねばならず、ゼロックス室へ持って行って総務にコピーを依頼する。
彩色との打ち合わせを済ませて、4時から風呂に行き、5時まで寝てくる。8時小柳さんらを送り9時半帰宅11時寝る。
 第2スタジオの東には鉄制の非常口があった、踊り場は広く日向ぼっこには都合が良かった。下には資料室からガラス戸で出られ、冬は扇風機を、夏は、ストーブを仕舞っておく倉庫が作られていた、我々のバンドは,その倉庫を整理して、で昼休みに練習場として使わせてもらっていた。その後2スタ1階の下駄箱とロッカーの間の広間なども使っていた。
   漫画集団の世界一周旅行に参加。モントリオール万国博等を見学(〜6. 5)。
5月 9日 火 晴夜小雨が降る
9時15分前に起きて9時半前に出社する。残業カードを書く。12時ごろには動画の人たちも集まる。結婚した、進藤さんも今日から来る。絵コンテの後半ゼロックスして、配る。5時半過ぎにCat上がりが出る。キャラクターの色指定をする。9時過ぎに小柳さんを送りそのまま帰宅、夕飯を食べて、テレビを見て12時前寝る。
5月10日 水 晴
本日給料日、5時半を過ぎた。社へ泊まる。寝る場所がなく5067号車の中で5時半過ぎ寝る
5月11日 木 天気晴
8時前起きて仕事を始める。今日も泊まりとなり、3時過ぎ5067号車の中で寝る
5月12日 金
  8時前に1度起きてタイムカードを押しに行き、車に戻って暫く寝る。制作と打ち合わせをする
ベースギターを買う。
 虫プロのエレキーバンドに入っていた、キーボードを担当していたが、ベースギターの白畠さんが退社したので、私がベースギター担当となった。練習は毎日昼休み、第2スタジオ1階の下駄箱横の更衣室で練習していた。

5月13日 土 天気晴
9時15分まで寝ていてタイムカードを押しに行くと9時29分ぎりぎりであった。昼過ぎにバンパイアの撮影がスタジオへ来る。 5時過ぎ銭湯へ行く。 小柳さんを送りそのまま9時半帰宅、12時すぎ寝る。
 「悟空の大冒険」 19話 われらガードマン
5月14日 日 天気晴夕方雷雨あり後晴れる
8時過ぎに起きて社へ行く、9時半帰宅して映画を見に行く。「おしゃれ泥棒」「プロフェッショナル」「替え玉作戦」の3本立て。4時丸井へ寄り家に戻り、社へ行く。9時半過ぎ帰宅父と母がバス旅行から帰ってきており、一緒に食事をしてテレビを見て11時寝る。
「リボンの騎士」7話 のろいの白鳥
5月15日 月 晴
4時小柳さんに車を貸す、4時半過ぎ戻ってくる。
   展覧会の絵の修正版の制作を手塚先生よりたのまれやる事になる、早速伊藤さんのスタジオと3・1/2(3か2分の1)へ行く戻り使用する絵の具の用意などをする。使う色を小瓶につめる。0時すぎMEXCOへ食事に行く。社に戻って絵の具を詰め替えていると原画の連中が来て30分で戻るので車を貸せと来る、仕方無に貸すが、戻ってきたのが1時間半後、雑用を済ませ寝れたのが4時過ぎ。
5月16日 火 晴
8時目を覚ましてタイムカードを押して、第2スタジオの非常口の階段で朝日を浴びて寝ていた。小柳さんに車を貸したので、3か2分の1へは、1時過ぎになってしまった。島方部長が車を使用したいと連絡があり、待機したが、中止したとの連絡で、オイルチェンジなどの整備をする。8時には帰宅食事テレビを見て、11時寝る。
5月17日 水 晴
朝1で彩色用の空き瓶を3・1/2に届ける。リボンの騎士の11話の動画出しをして、とったあたりを背景の西さんまで届ける。5時半過ぎ3・1/2へ展覧会の絵の仕上げの上がり具合をチェックに行く。11時半ブラシを依頼したものを引き上げる。2時伊藤主計さんを迎えに行く。仕上げを手伝って2時終わらす。五平へ杉山 卓さんたちが飲みに行ってしまい、撮影出しの準備をしておく。4時過ぎ撮影出しをして6時終わり、仮眠を取る。
5月18日 木 晴
9時撮影が終了撮影済みのフィルムを五反田の東洋現像所まで即日ラッシュで現像を依頼に行く。11時半社へ戻る。すぐにリボンの騎士11話の動画上がりを回収カット表につけて仕上げにまわす。とても眠くて、辛かったが、その後すぐに斉藤さんと外注回りをする。
大貫さんの紹介で新所沢まで、動画の依頼に行き、東村山の大貫さんの家へ送って社へ戻る。11時帰宅12時寝る。
5月19日 金 晴
リボンの騎士11話の外注出しで、とても忙しい1日となる。夜が明けそうな4時やっと眠れる。
5月20日 土 晴
 「悟空の大冒険」 20話 荒野の妖怪
5月21日 日
映画を見に行く、6時社へ行き11時半寝る。
「リボンの騎士」8話 幻の馬
5月22日 月 晴
11時新所沢まで松本さんを乗せて動画上がりを引き上げに行く。12時社へ戻る。動画のチェックを終えて、仕上げ出しをする。5時から外注まわり。10時帰宅。12時寝る。
5月23日 火 晴
9時半車で出社。   帰宅風呂には入らず12時寝る。
5月24日 水 晴
朝1番で鶴瀬の鈴木さんへトレス出しと引き上げに行く。大変忙しかったので何をしたのか思い出せない。7時半帰宅、テレビを見たりして8時食事11時過ぎ寝る。
5月25日 木 晴
忙しくて泊となる。
5月26日 金 晴
昨夜は何度も起こされたので大変眠い、朝から撮影出しの予定が、背景があがらないので夕方からに変更となった。4時銭湯へ行く、夕方になっても撮影出しができず、演出家が帰ってしまったので撮影出しは中止となる。外注からのカットの引き取りも明日する事にして
10時過ぎ帰宅12時寝る。
 この後日記は途絶えている、大変忙しくなり寝る暇も無く撮影出しをしたためで、とても日記など付ける暇は無かった。

5月27日 土
 「悟空の大冒険」 21話 プイプイ教の大魔神
5月28日 日
「リボンの騎士」9話 こわされた人形
5月30日
火 東洋工業が、ロータリーエンジン搭載のコスモスポーツを発売する。
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6月 3日 土
 「悟空の大冒険」 22話 ドラゴンの牙
6月 4日 日
「リボンの騎士」10話 サファイヤのカーニバル
6月 7日 水
リボンの騎士11話を終わり休む暇も無く17話を受け持つ手塚治虫の校閲待ち1度も見てもらえず貫徹となる。

6月 8日 水
リボンの騎士17話手塚治虫の校閲待ち、朝見てもらえるとの事でいくが昼過ぎても駄目もう4時となる。寝させてくれ!!4時過ぎ18話のキャラクターを校閲5時キャラクターだけ上がる。その後コムのネームが上がるまで、待って欲しいと言われる。
6月 9日 金
 午前1時を過ぎてもコムネームは案が出ないと言う理由で上がらず、編集室にて待機、また明日(8日)にしてくれと言われてしまうスケジュールは無くなるし、仕事にはならないしで、涙が出てしまう。       こんな仕事よく嫌にならずに続くものだと、我ながら感心する。17話を担当した時には「1週間前には上げてやれ」という意気込みで始めたのにすっかりスケジュールが校閲だけで取られてしまった。思い出せば、11話の時にも校閲が上がらなくて、あてつけに自殺してやれなんて思い込んでわざわざ狭山湖のほうまで行ったっけ。
 明日になれば、また元気が出るだろう、大変疲れた。何をするのも嫌になる。やりたい事がたくさんある。自分のことは何も出来ない。これでいいのだろうか? そう、前にも考えたではないか、これでいいと。まだ若いのだ 頑張ろう。
 こんな事が書かれていた事に正直驚いた。日記を付ける暇が無いほど忙しい思いをしてやっと終わり一息つく間も無く次の仕事に入ったが手塚治虫の校閲待ちでスケジュールが無くなっていく、私の心理が判る。他の進行さんよりうまくやろうと言う意気込みでスケジュールや、予算を立てて意気込んで仕事に入るが校閲を待つだけでどんどんスケジュールが食われる。待っているときにしている事は、スケジュール表の修正とスタッフの招集の訂正とお詫び。虚しく時間ばかりが過ぎて行く。半分はスタッフへ申し訳なく思う気持ちと、校閲が上がらないあてつけに自殺してやれと考えてしまう。精神状態が寝不足と重なって、死神が取り付いた状態にあった。私だけではなかったらしいし、後にもっと危ない経験もした。  この後ますます忙しくなり日記は書けなくなってしまう。

6月10日 土
 「悟空の大冒険」 23話 バラモンの足
6月11日 日
「リボンの騎士」11話 ねむりの精
6月17日 土
 「悟空の大冒険」 24話 ヘラクレスの手
6月18日 日
「リボンの騎士」12話 おんぼろ王子
6月24日 土
 「悟空の大冒険」 25話 ハネ一族
6月25日 日
「リボンの騎士」13話 ばらの館
1967年 7月
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7月 1日 土
 「悟空の大冒険」 26話 メデュウスの髪の毛
7月 2日 日
「リボンの騎士」14話 七匹のこやぎ
7月 8日 土
 「悟空の大冒険」 27話 第六の妖怪ハリケーン
7月 9日 日
「リボンの騎士」15話 黄金のキツネ狩り
7月15日 土
 「悟空の大冒険」 28話 妖怪連合の最後
7月16日 日
「リボンの騎士」16話 チンクとコレットちゃん
7月22日 土
 「悟空の大冒険」 29話 つらら大王
7月23日 日
「リボンの騎士」17話 さよならユーレイさん
7月29日 土
 「悟空の大冒険」 30話 ガツガツムシャムシャ
7月30日 日
「リボンの騎士」18話 ふしぎなカガミ
1967年 8月
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直江津キャラバン

8月 5日 土
 「悟空の大冒険」 31話 かげろうの谷
8月 6日 日
「リボンの騎士」19話 魔法のペン
8月10日 木
「週刊漫画アクション」が創刊される。
 モンキーパンチの、「ルパン三世」が、この漫画アクションの創刊号(昭和42年8月10日号)から94回にわたって連載された「ルパン三世」は、昭和44年5月22日号で終了し、再び昭和46年8月12日号から「ルパン三世/新冒険」として連載を再開する、

8月12日 土
 「悟空の大冒険」 32話 火輪童子
8月13日 日
「リボンの騎士」20話 怪獣カゲラ
8月19日 土
 「悟空の大冒険」 33話 おいらゴーケツだい
8月20日 日
「リボンの騎士」21話 世界一のおやつ
 夏、式根島事件
 リボンの騎士の制作(事務も含めて)が、皆で、式根島へ、遊びに行ってしまった。ちょっとした、悪戯心と、プロデューサーに、不満を持ての反抗心見たいのがあってであったが、折からの台風接近と、定期便が、1週間に、3本しかなかったので、帰れなくなってしまい、電報を打ったりして大慌てをした、帰ってから、全員で謝り、スケジュールに、穴はあけなかったが、ほとんどのスタッフは、リボンの騎士班に席がなくなっていた。

8月26日 土
 「悟空の大冒険」 34話 人喰いジャングル
8月27日 日
「リボンの騎士」22話 たいかん式の巻
1967年 9月
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9月 2日 土
 「悟空の大冒険」 35話 霊感大王

9月 3日 日
「リボンの騎士」23話 リボンの騎士現わる
9月 9日 土
 「悟空の大冒険」 36話 おなかのなかのなか
9月10日 日 曇時々晴れ
9時ごろ起き 「題名の無い音楽会」などのテレビを見る。朝食を11時ごろとり12時前に映画を見に行く。大変込んでいて、始めの「ベレッカ」は立って見ることとなってしまった。ベレッカはヒッチコックの作品で恋愛物でもヒッチコック独特の良さがあり感銘を受けた。チャップリンの「伯爵夫人」の大変良かったが最後の、アランドロンの「冒険者」にはより感激した。女性が殺されて二人で潜水服に入れた女性を沈めるシーンは深く感動した。最後にはアランドロンも殺されてしまうが、島の要塞を少しずつT・Bするとこなど、良かった。
「リボンの騎士」24話 嵐のかんおけ塔
9月13日 水 曇時々雨
台風22号のために、うっとうしい日が続く。神田君と外注のジャガードへ行き、草加のシュリルラボまでフィルムを上げに行く。3時渋やん(渋江)神ちゃんと井草へ昼食に行き帰り井草バッティングセンターへ寄る。定時にて帰宅する。
この日記でこの時にはわんぱく探偵団班にいた事がわかり、外注のジャガードや神田君のことがかいてある事からすでに、制作に入っていた事が
、おもいうかがえる。
9月16日 土
「悟空の大冒険」37話 カボチャの化け物 呪われた王様
9月17日 日
「リボンの騎士」25話 王様バンザイ!
9月23日 土
 「悟空の大冒険」 38話 金角・銀角
9月24日 日
「リボンの騎士」26話 雪の女王
9月30日 土
 「悟空の大冒険」 39話 あれが天竺の灯だ
9月
    フライングベンのパイロットフィルム完成 虫プロ商事
1967年10月
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10月 1日 日
「リボンの騎士」27話 急げ!黒雲島の巻
10月 8日 日
「リボンの騎士」28話 鉄獅子
10月15日 日
「リボンの騎士」29話 雪の女王の最後
10月18日 水
ミニスカートの女王ツイッギーが来日する。
10月22日 日
「リボンの騎士」30話 空とぶ怪盗
10月29日 日
「リボンの騎士」31話 チンクと海のお姫様
10月
      手塚 治虫と漫画部が実験アニメ 「創世記」を作る
1967年11月
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11月 3日 金
        手塚 治虫 誕生日
11月 5日 日
「リボンの騎士」32話 サファイヤの宝
11月12日 日
「リボンの騎士」33話 ピラミッドの怪人
11月19日 日
「リボンの騎士」34話 巨鹿ムース
11月26日 日
「リボンの騎士」35話 飛行船を追え!
1967年12月
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12月 3日 日
「リボンの騎士」36話 帰ってきた大魔女
12月10日 日
「リボンの騎士」37話 サファイヤを救え!
12月17日 日
「リボンの騎士」38話 騎士の掟
12月24日 日
「リボンの騎士」39話 ビーナスのねたみ
12月31日 日
「ブルーシャトウ」が第9回レコード大賞を受賞する
社長室時代のあとがき
 社長室勤務は なり手がなかった、手塚治虫のところへ行けば、地獄のような、貫徹続きの仕事が待っていると、伝説になっていた、そんなところへ行ったら、殺されてしまうと、なり手がいなかったと聞く。幸せにも私に「白羽の矢」が立って、聖職者となった。手塚治虫の秘書と言うより、昔風に言うところの、書生さんに近い仕事であった。昔からの秘書として、宮下さんがいたし、島方さんと、高橋さんと言う2人の役員の来られて、島方さんが、社長室部長となられたので、虫プロの制作の分からない事を補佐する役目もあった。実際に社長室へ行ってみると、宮下さんのほかに須崎さんと言うやはり昔から手塚治虫の車の運転をなされていた方がいて、身の回りの事などもやっておられた、お手伝いさんも通いで2人いましたし、後には、大島さんと言う女性も配属されて、昔の社長室のイメージとは、変わったようであった。
 社長室は母屋(手塚治虫の自宅)にあったので、家族と一緒の時間も多く、礼儀正しく、言葉も使いも丁寧であり、目がきれいな、私は、大変かわいがってもらえた、手塚治虫のお父さんとお母さんの部屋が、棟続きにあって、よく呼ばれたり、あそびに行ったりもした。
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手塚のお父さん「北風さん」が「まこちゃん」を怖がらせるために、編集者待合室で、よくお化けの話や、母屋の角の怖い話などをした。それが、百鬼夜行の話となり、どろろ、につながった。
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手塚治虫がアニメに手を出す事が、出来づらくなると、実験映画をフェスティバル用に作った。アシスタント(お弟子さん)たちも手伝わされた。今はどうしているかと調べてみたら、思わぬ出会いもあった。
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手塚治虫の家の門には陶器の白い表札が掛かっていたその表札にひびが入っていたので、「家が下がると言うので、縁起が悪い」といったが。気にせず、取り上げる事もなかった。それどころか「子供らには、財産なんか残さない。借金さえ、残さないように、努力する、とまで言っていた。ちなみに北側の、日本風格子戸の玄関には木の表札が掛かっていた。手塚 粲と掛かっていて誰もゆたかとは、読めなかった。お父様を北風さんと呼んでいたので、誰だろうと、思っていた。     =曲は スティービィー・ワンダー 迷信=
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