1973年    日本テレビ動画
ドラえもん  日本テレビ


環状七号線野方駅北口
 先日(平成15年9月)30年振りに中野区野方の日本テレビ動画のスタジオが

 有った場所を訪ねてみた。西武線の練馬駅の方から丸山陸橋の辺りを探したが

 つくづく人の記憶のいい加減さを思い知らされた。今日まで丸山陸橋の近くに

 スタジオは有ったとばかり思っていたがのだが、見つからないので有る。

 丸山交番にも行って見たが思い出の交番とは違っていた。 
 しばらく探してみたが記憶とは違った場所だと判る住所を調べてみる、

 野方一丁目は環状7号線西武新宿線のアンダーパスを潜った先の大和陸橋の

 側だとわかる。右側の野方駅周辺も大きく変わっていた、すこしずつ昔の記憶が

 蘇ってくる。野方駅の先を少し走ると大和陸橋が見えて来た。


旧野方一丁目交番
 測道を入って少し先に野方一丁目交番の有った建物が見えた、今は使われて

 いないようで近くに新しい交番が出来ていた。ここには少しの間だったが

 友達となったよく遊びに来たお巡りさんがいた。拳銃のことや機動隊に配属に

 なった時の悩みを聴いてあげたこと、そして最後に彼を五反田まで送っていた

 ことなどが思い出された。

元五十嵐ビル7階の上に
管理人室がある
 そして道なりに目を移すと有った。昔のままそびえていた。

 七階建てのビルここの四階が日本テレビ動画のスタジオだった。

 周りの様子はすっかり変わっていたが、ビルは健在だった。

 ビルの名前は変わっていた持ち主が変わった

 せいだろう。実際に来てみて今までの記憶が他の作品の時の

 記憶とごちゃ混ぜに成っていることがわかった。

 きちんと整理して資料をよく調べ直す必要性を痛感した。

右が大和陸橋左に車がやっと止まれる
 歩道側に入り口が有る、覗いて見ると正面にエレベーターがある

 その右側に狭い階段がある。手前から右に広くなっている。

 台形の土地に立っている、部屋はかなり広かった事がわかる。

 そうだ七階に高級麻雀店があった。表札をみる

 当然違う人がはいっていた。30年も経っている

 時間の経過を思い知る。
株式会社日本テレビ動画
       私の名詞には本社 新潟県新潟市花園2丁目1−16となっており、
       この中野区野方のスタジオは東京支社となっていた。
       その後新潟は新潟スタジオとなって東京が本社となった。
  社長は      渡邊 清 
  プロデューサー 佐々木一雄
       モンシェリCoCoの終了後も、東京でドラえもんの企画をテレビ局へ持ち込んでセールスしていた。
       東京のこのスタジオには作画と仕上げのスタッフがいた。
       この話が来たとき、佐々木プロデューサーと、 今後このスタジオから将来アニメ界を背負って 
       行くような人材を育てるそんなスタジオにしようと話した。
       ドラえもんは初めからツークール(26週)の契約であった。
       すでに虫プロの時からまた手塚プロのメルモやトリトンの時も半年契約であった。
       もちろん人気が(視聴率)でれば別の話である。
  
  演出部
   チーフディレクター 上梨 満雄
       演出を誰にするかを佐々木と相談したモンシェリの時の人たちはリストからはずした。
       虫プロの演出家で鉄腕アトム、リボンの騎士、わんぱく探偵団、ムーミン、アンデルセン物語
       などの演出を手がけた、「上梨 満雄」を強く押した。
       麻雀をやるとその人の性格がでるというが、仕事でも麻雀でも良く一緒にやった。
       性格も人柄も大変よく、他人の面倒見も良い、
       穏やかな性格だが一つ作品に入り込むと妥協を許さない。
       そんな人物であると佐々木に説明して口説いた。
       了解を貰うとすぐに上梨満雄の家まで押しかけ引き受けてくれるように何度も頼みに行った。
       「日本テレビ動画」で若手を育てようと将来の夢を語って説得した。
       そしてやっと説得に応じて貰い、チーフディレクターとして迎えた。
   文芸       徳丸 正夫
       藤子先生との脚本、絵コンテ、キャラクター設定や色指定の校閲 のパイプ役
       脚本や絵コンテ出しに 佐々木一雄が推薦した
   担当演出    岡迫和之
            腰 繁男
       上梨のアシストとして  岡迫和之と 腰 繁男 を迎えた。
  
  制作部
   制作主任
            下崎 闊
   制作進行
            木沢富士夫
            増田 厚美 
            山下一郎 
            小野 忠
       進行は日本テレビ動画社員の 木沢富士夫 一人だった。
       1話を4週間で作るためには あと3人進行が必要なので、新聞広告で募集
       面接して 増田 厚美 山下 一郎 小野 忠 の3人を採用した。

       この10人が 日本テレビ動画「ドラえもん」の社員であった。
       制作の部屋と演出の部屋は棚で仕切られていた撮影出しの部屋
       仕上がったカットを入れておく棚が並んでいた。 会議の出来るスペースと
       環七通り側の窓際に2段ベットが置いてあり、仮眠が出来た。
       窓は2重になっており閉めれば有る程度静かになった。
       エアコンは効いていた。
       スタジオの奥半分のスペースに作画班と仕上げ班があった。 
  作画監督    鈴木 満   
            村田 四郎  
            宇田川 一彦 
            生頼 昭憲 
            白川 忠志
              などの原画家が交代で担当、キャラクターの統一と若手の育成をした。
 原画        上條 修  
            熊野 基雄 
            田中 保 
            山下 征二 
            佐藤 徹 
            永樹 たつひろ 
            竹市 正勝
              など
 動画        荒井 政良志 
            滝波 いつ子 
            加藤 輿治 
            秋山 博雅  
            楠田 悟    
            八武崎 好郎 
            岡山 陽子 
              など

 仕上       黒田 英里子  長村 葉子   大橋 啓子江口 マキ子  石田 康美 など
             トレスには  トレッシングマシンも使用しました。

                 日本テレビ動画のスタジオには以上の人達が居ました。 

      取材してみると現在作画監督や作画家としてリーダー的存在になっていました今後もご活躍なされる事を望みます。
   仕上外注   スタジオ古留美の狩野 節子など  若井 喜治  三宅 敏博 など
  美術監督  (有)スタジオジャックの鈴木 森繁      アトリエ69の川本 征平
  背景     (有)スタジオジャック とアトリエ69の 高野 正道  西巻 晶子  亀川 尚子 など
  撮影監督  スタジオ珊瑚礁の  菅谷 信行
  撮影     スタジオ珊瑚礁   菅谷 正昭 など
                 今までは35mmフィルムで撮影して16mmに縮小するのが普通でしたが
                 「ドラえもん」は最初から16mmフィルムで撮影しました。

  編集     西出 栄子 スタジオは西新宿の十二社(じゅうにそう)交差点側の
                  スタジオゼロの2階にあってラッシュ作業は日本テレビ動画で
                  ネガの編集はスタジオゼロでやりました。       
          スタジオゼロ(http://www.allnightpress.com/main/monologue/199903/studio_zero.htm)参考

  音響演出  近森 啓祐
  音響制作  E&Mプランニングセンター
  選曲    宮下 滋
  効果    片岡 陽三           小川 勝男(E&M)
  調整    田中 英行
  録音    番町スタジオ
  現像    東洋現像所

              声の出演
        ドラえもん  冨田耕生   のちに    野沢 雅子
        のび太    太田 淑子
        スネ夫    八代 駿
        ジャイアン  肝付 兼太
        静 香    恵比寿 まさこ
        ガチャコ   堀 絢子
        パ パ    村越 伊知郎
        マ マ    小原 乃梨子
        我成先生  加藤 修
                山本 圭子      
                高橋 和枝
                    など
               青二プロダクション
      
       音楽    越部 信義

       主題歌   ドラえもん                         ドラえもんルンバ
       作詞    藤子 不二雄                       横山 陽一
       作編曲  越部 信義                         越部 信義
       唄     内藤 はるみと 劇団NLT(コロムビアレコード)   内等 はるみ


                              制作   日本テレビ動画 

ドラえもん       サブタイトル             

4月 1日  1話     でた!ドラえもんの巻
 2話     ペコペコバッタ大騒動の巻
4月 8日  3話     屋根の上のすてきな子の巻     
 4話     のび太のご先祖さんの巻
4月15日  5話      弱味をにぎれの巻
 6話     キューピットですきすき作戦の巻
4月22日  7話     ねずみに弱いねこもあるの巻     脚本 井上 知士  絵コンテ 奥田 誠治
 8話     ガキ大将をやっつけろの巻  脚本 井上 知士  絵コンテ 奥田 誠治
4月29日  9話     おせじ鏡の巻      
 10話    パパとママの結婚記念日の巻
5月 6日  11話    のろいカメラの巻       
 12話    宝くじ大当たり作戦の巻
5月13日  13話    決闘! のび太とジャイアンの巻 
 14話    わたしは誰でしょうの巻
5月20日  15話    アベコンベ騒動の巻         
 16話    おばけ屋敷の謎の巻
5月27日  17話    クイック・スロー大作戦の巻    
 18話    のび太は雨男の巻 
6月 3日  19話    ウルトラミキサーの巻       
 20話    ねがい星流れ星の巻
6月10日  21話    ふしぎなふろしきの巻       
 22話    のび太のおばあちゃんの巻
6月17日  23話    大リーグの赤バットの巻      
 24話    男は力で勝負するの巻
6月24日  25話    ガチャ子登場の巻          
 26話    おしゃべりくちべにの巻
7月 1日  27話    すきすきカメラの巻         
 28話    天の川でデイトしようの巻
7月8日  29話    へんなロボットカーの巻      
 30話    ニコニコせっけんの巻
7月15日  31話    おれ署長のだいりの巻       
 32話    さあ夏だ!スキーをやろうの巻 
7月22日         野球オールスター戦中継
7月29日  33話    成績表はいやだなあの巻     
 34話    自分のかげをつかまえろの巻
8月 5日  35話    潜水艦で海へ行こうの巻      
 36話    くるった腹時計の巻
8月12日  37話    キャンプ騒動の巻        
 38話    忘れな草って何だっけの巻
8月19日  39話    クーラーパラソルの巻       
 40話    いつでも日記の巻
8月26日  41話    宿題おばけが出たの巻      
 42話    お天気ボックスの巻
9月 2日  43話    ぼくに清き一票をの巻         脚本 吉原 幸栄  絵コンテ 生頼 昭憲 
 44話    まんが家修業の巻  脚本 鈴木 良武  絵コンテ 矢沢 則夫
9月 9日  45話    すてきなガールフレンドの巻      脚本 山崎 晴哉  絵コンテ 棚橋 一徳
 46話    花いっぱい騒動の巻  脚本 馬嶋  満   絵コンテ 岡迫 和之
9月16日  47話    そっくりクレヨンの巻         脚本 井上 知士  絵コンテ 矢沢 則夫
 48話    静香の誕生日の巻  脚本 山崎 晴哉  絵コンテ 矢沢 則夫 
9月23日  49話    宇宙飛行士になりたいの巻       脚本 園屁 蔵士  絵コンテ 石黒 昇
 50話    まいごマゴマゴ大騒動の巻
9月30日  51話    ネンドロン大騒動の巻         脚本 井上 知士   絵コンテ 腰 繁男
 52話    さようならドラえもんの巻
                             スタッフのその後
  上梨 満雄
            ドラえもん終了後も演出家として活躍なされてます。お兄さんの上梨 壱也と
            ピエロ企画室を立ち上げました。今はフリーとなっております。

  演出部      徳丸 正夫    岡迫和之     腰 繁男
             それぞれ演出家としてご活躍なされてます。

  制作部      佐々木 一雄
            仙台へ帰りました
            増田 厚美    山下一郎     小野 忠
            ドラえもんの後 アニメの世界から去りました。

  作画 仕上   それぞれ作画監督や原動画として大変ご活躍なされてます。

詳しい事は取材中です


                    背景       川本 征平  ただいまは杉並アニメ振興協議会 会長として
                   「さよならみどりヶ池」を制作しています。
                 http://www.suginamianime.com/jbox/aisatsu.htm 

背景        鈴木 森繁                              
      アニメの背景はスタジオジャックの 鈴木 森繁 とまで言われ また
      川越では鈴木 森繁 画伯としてご活躍しておりましたが        
      1997年 4月 6日 永眠なされました。心よりお悔やみ申しあげます。
        詳しい プロフィールは   http://www.studiojack.com/morisige/morisigesp.html
  川越での画像は      
http://www.heartplan.co.jp/page231.html  
                でご覧になれます。           

制作が終わってしばらくの間は田無市西原の私のアパートに労働組合を作り管財人との交渉の拠点としていました。
資金はジョーさんと電通映画 社の PRの仕事をしたりしました、
その後失業保険を貰い職業訓練校の入学テストを受け電子工学科に合格して1年間失業保険を貰いながら勉強しました。
50年3月卒業を機に、皆は仕事が決まったり田舎へ帰ったりしていたので日本テレビ動画の労働組合は活動を終わりとしました。
そしてアニメ界から引退しました。

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