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ドラえもんの時にビデオテープレコーダーはなかったのですか |
という質問へのお答え |
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と言えばやはり日本で開発したのはソニーである。ソニーの創業者
盛田昭夫[もりたあきお]氏
(1921〜1999)は大正10年1月生まれ昭和19年大阪帝国大学理学部物理学科を卒業している大阪帝国大学と言えば手塚治虫と同じ大学と言うことで前からソニーには興味を持っていた。井深大[いぶかまさる]
(1908〜1997) 社長とソニーを作り上げたそんな経緯からソニーのことも少し勉強したので 分かる範囲でお答えしたいと思います 。 |
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1958年ソニーは我が国初のVTR(ビデオテープレコーダー)を米アンペックス社の回転ヘッド方式で完成させた、井深大社長は世の中の人が普段の生活で使えるようなVTRの小型化をトランジスタを使って実現せよと、木原(きはら のぶとし)主任研究員VTR開発チームにハッパをかけた。
1959年11月、アンペックス方式でVTRのトランジスタ化に成功、ある程度小型化のメドがつく。 1960年、ソニーとアンペックス間で、VTRの技術的ノウハウの交換を行う。アンペックス方式では限界があった。それは4ヘッドのVTRのためヘッドが摩耗すると、回転ヘッド全体の交換が必要となった。 ヘッド交換の容易なVTRを作るというソニー独自の着想により、2ヘッドのトランジスタVTRの開発を進めていく。 こうして出来上がったのが、世界初のトランジスタ式「VTRSV-201型」だった。 このVTRは、2ヘッドのヘリカルスキャン(テープ上を、ヘッドが、らせん状に走行しながら 記録/再生するというもの。現在のVTRはこの方式である)タイプで、当時のVTRの水準をはるかに上回る高性能機であった。 |
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しかしアンペックス方式とは異なるため、放送局用としてはあまり受け入れられる方式ではなかった。 また家庭用としては高価で大き過ぎた、そこで、「PV-100型」を開発した大きさは、放送局のアンペックス製の50分の1と小さくなった。この「PV-100型」は茶だんすくらいの大きさだったがポータブルと名付け、当時としては画期的に小さくなった。
1962年9月に発表され1963年7月に248万円で発売された、 また8月からはアメリカにも業務用で輸出された。 1964年、65年とアメリカン・エア・ライン、パン・アメリカン機に採用された。毎週新しいソフトテープを供給するため、ニューヨークに 「インフライト・VTR・サービス」という、テープのダビング工場ができた。 放送局のVTRが、「PV-100型」により一歩コンスーマー用に近づいたといえる。 この時期のVTRの基礎技術が、ソニーの放送・業務用VTRや家庭用VTRのベータマックスに受け継がれていったのであった。 |
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1964年10月に発表された家庭用VTR「CV-2000型」は、2分の1インチテープを使った回転2ヘッド方式のVTRで、重さは15kg、価格はこれまで放送局用で2000万円、工業用でも250万円していたが、19万8000円となった。 価格を抑えるためにフィールドスキップという録画方式(テレビ放送画面を1枚おきに記録する)が採用された。
井深大社長は「今回の製品は、人の真似でなくソニーで生まれ、育ち、成長したものです。生活に革命を生む製品をというのが、ソニーの特徴であり、喜びであり、価値です」と、「CV-2000型」の誕生を喜んだ。
1971年10月(昭和46年) ソニー、3/4インチ、カラービデオカセット Uマチック"プレーヤー「VP-1100」、 Uマチック"レコーダー「VO-1700」発売。
1973年 9月 ソニー、ポータブル・カラービデオレコーダー「AV-8500」発売。
1974年 3月 ソニー、Uマチックおよびトリニコンカラーカメラのフルラインアップ発表。
1974年10月14日 私の誕生日にプロ野球、巨人の長嶋茂雄、「巨人軍は永遠に不滅です」との言葉を残し現役引退。
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1975年 5月10日 ソニー、本格的な家庭用ビデオシステム"ベータマックス"開発に成功。テレビと組み合わせた"ビデオテレビ"「LV-1801」とビデオデッキ「SL-6300」発売。
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私が手塚プロを辞めるときに手塚治虫先生から頂いたCV-2000型はテープの値段も高くて、モノクロでテレビ番組の録画には適さなかった。昭和50年 やっとベータマックスが発売されたが、まだ手の出る値段ではなくそのころはもっぱら8mm撮影機が主流で、生まれた長男を8mm映写機で撮っていた。 |
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初めてビデオを買ったのは 親父の方が先であった 昭和55年ぐらいに中古でカメラとレコーダーとテレビチューナーのセットを10万ぐらいで手に入れたと思う。その後いくつか買い替え今のベーターはだいぶ古くなっている。時代の流れでVHSに変わりビデオやさんにベーターの作品がなくなる頃にベーターと、ともに使っていて気に入っていた、映画「ウォーゲーム」の中で出ていたVHSと同じ機種で我慢していたのを買い替え買い替えて今では各部屋に1台以上もビデオがある。 もしもドラえもんの頃ビデオがあったら と本当に思う。 |
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