海底都市のできるまで   
31年後の日本 日本テレビ
「二十世紀アワー」

テレビスペシャル



昭和44年2月2日 (日)
 制作虫プロ商亊(ほとんどが虫プロのスタッフ)

ストーリーは次のようであった。

 海底都市建設をライフワークと考えた山本太郎は昭和47年東京エレクトロニック社で働き始めた。小型潜水艇技師である、三上和子と結婚 多摩ニュータウンに住む、

1983年にマンボウ号遭難救助や1986年息子と海底都市 瀬戸オセアノコピアを着工、事故で息子泰介を失ったりするが1997年 海底都市を完済させる。

手塚先生は山崎忠昭さんに脚本を依頼している。
制作プロデューサーがW3の池内辰夫、実際には柴山達雄さんが補助として動いていた。

演出が坂本雄作のちに年が明けて山本暎一さんに泣きついて?いる。
キャラクターが木村しゅうじさん背景デザインが藤本四郎さんで、背景が松本強さんと槻間八郎さん、トレスが北岡光代さんなどで、彩色が高橋富子さん

進行に片山秀夫さん、北岡輝久さん、野崎欣久さんなどであった
放映時間
22時30分〜23時30分

45分17秒カラー作品

虫プロ商亊
 山本暎一さんによると、暎一さんに援助を求めたのは、お正月間近の、12月28日であったと言う。
 
「まだ40分しか出来ておらず、現在必要分数が足りなくて、納品に間に合わない、そのうえ演出が降りた」と言うことであった。スタッフが正月休みに入って作業が出来ず、不足の5分強をストーリーを損なわず、資料室のライブだけで作る作業をすることになった。

 1月3日撮影が終わり、4日編集、5日アフレコダビング、6日納入、そして2月2日日曜日午後10時半日本テレビで二十世紀アワー「海底都市の出来るまで」は放送することができた。

しかし、
山本暎一さんは「千夜一夜物語」のフタッフから正月休みに内職をしていたと見られてしまった。

 この仕事は虫プログループの危機を救うためで、役員であった山本暎一さんには、給料が増えたわけでもなく、残業代も付かず、正月休み返上の徹夜続きは、ただ働きであったのだ、まさに「泣きっ面に蜂」であった。
原案・原作:手塚治虫
スタッフ
プロデューサー 村井允(日本テレビ) 池内辰夫(虫プロ)
演出 山本暎一 坂本雄作
脚本 山崎忠昭
音楽 山下毅雄
撮影 山浦栄二 森昭彦
キャラクターデザイン 木村しゅうじ
作画 木下蓮三 彦根範夫
背景デザイン 藤本四郎
背景 松本強 槻間八郎
トレース 北岡光代
彩色 高橋富子
特殊効果 橋爪朋二 田崎芙沙夫
音響 田代敦巳 明田川進
効果 柏原満
演出補 柴山達雄
編集 古川雅士 松浦典良
進行 片山秀夫 北岡輝久 野崎欣宏
制作デスク 木村旺子
キャスト 村越伊知郎 向井真理子





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