やさしいライオン


 絵コンテ

 キャラクター

 画集

 スタッフ 落書き

 黒ぶたのタン子

ただいま製作中 

以下は製作中のメモであります。

どろろの制作が終わろうとしていた9月、あしたのジョーの企画を立てていた、富岡厚司は、手塚先生に呼ばれ、「千夜一夜物語で、大変お世話になった、やなせたかしさんに、お礼にアニメを作ってもらおうと思うのだが、あなたがプロデュースしてください。」と言われた。この企画は、手塚先生がやなせたかしさんと、話をしているうちに、やなせさんも自分のアニメを作ってみませんか、といった、やなせさんも常々アニメにしたい話があったので、「ぜひに」と答えた。手塚先生は、これを役員会議にかけたが、そんな実験映画に予算は付けられませんと、つっぱねられ、実現が遅れていたのだが、手塚先生のポケットマネーで、やるからということで、なかば、強引に、強行されることになった。次のアニメラマの企画もまだで、第二スタジオやアニメーターたちは、比較的手空きであった、またこのころやめるスタッフが増えていた、山本暎一さんを初めたくさんの、人たちが、独立したりして、やめて行った。千夜一夜のお礼といわれては、かっぱさんは、断れなかった、しかし、それどころではなく、目の回るような忙しさの中におかれていた。ちょうどその頃一番古株の、一人の進行が口をとがらせて、かっぱさんに文句を言いに来た、千夜一夜班の進行と思っていたが、劇場で見た、エンディングのスタッフリストからはずされている、「どろろ」で手伝いに来た進行さんも、「どろろと百鬼丸」へ行ったものも、みんな載っているのになぜだ、あんな苦労したのに「千夜一夜」を作った証がないじゃないか、というのである、普段から、扱いにくく、何かに付け、上司に食ってかかる。一瞬厄介な、いまさら修正など不可能、と思ったが、ひらめいた、うまくおだてると、すぐにのってしまう、タイプであったからだ、お詫びに、今度やる、やなせさんの映画を任せるから、手塚先生もぜひ君にといっているし、すべて任せるから、困った時だけ言ってくればいいし、一切口出しせずに任せる、と低姿勢にたのんだ。文句のことなどすっかり忘れ、上機嫌で引き受けることを約束した。早速かっぱさんと手塚先生に挨拶に行く、手塚先生と気心も知れているので手塚先生もそれを承諾、「以後君に任せると」いってくれた。第二スタジオい1階の制作室が与えられた。大き目の専用ロッカーと制作机、広すぎる部屋にはまだ一人だけであった。手塚先生から、やなせさんに連絡してあるから、細かい打ち合わせを、してきてください、と連絡があった。早速、市谷の自衛隊駐屯地正門前の坂の途中にある、やなせさんのお宅へおじゃました。フジテレビの近くのため、住所だけで、簡単にいくことができた。やなせさんのアトリエに通され、アシスタントの女性が飲み物を運んでくれた。やさしい笑顔のやなせさんと、スケジュールなど細かい打ち合わせをし、これから制作する、「やさしいライオン」の絵本を見せていただいた。やなせさんは実は絵コンテはすぐにできると思います、音楽もあるのです、この「やさしいライオン」は幻灯機用にすでに作ってあるのです、といって家庭用のテープレコーダーを持ってきた。ボニージャックスのコーラスまで入っている、その物語は素晴らしいものであり、心を打たれた。今度幼稚園で、上映会を催しますので、是非来て下さい、といわれ、約束をした。そのあとは、やなせさんの絵本や詩、などを見せていただき、その不思議な絵の感じに、どのように描くのか質問をした。すると、用紙がおいてあるところに案内され、木枠にたくさんの用紙が立てに入れてある、一つ一つの用紙は色の付いた模様のある用紙が入っていた。この色の付いた用紙に、じかに色鉛筆でかくのですと色鉛筆も見せてくれた、それは、ドイツ製のPastelであったが、色のかずが60色もあるものであった。 珍しそうに、そのパステルを見ていると、「使いかけですがどうぞ」といってくれ、「新しいのがありますので、ご遠慮なく」と、なお言ってくれた。フランスやヨーロッパの珍しい絵の本もたくさんあり、ひろげて、いちいち説明してくださり最後には、ダブっているものがありますから、あげましょう、とそれらの本まで頂いてしまった。 2スタ2階が「やさしいライオン」班となっていた。よせばいいのにやなせさんから頂いた、本を、片っ端から自慢して歩いた。美術(背景)の人は美大での人が多く、その本に目を輝かせ、異口同音に「宝の持ち腐れ」といった。1階の制作室の机の上に家から持ってきた本棚を置き自慢げにその本を置いておいた。 珍しく家に帰る事ができた。翌日の朝、机の上の本棚には1冊の本も残っていなかった。いつでもいいから、戻して欲しいと、はりがみまでして置いたが、いまだに、帰ってこない。 いまはむかしの、昭和39年より3年間NHKテレビで、『まんが学校』という番組を毎週放送していた。司会は 当時、若手 人気落語家の立川談志さん。講師は、やなせたかしさんであった。 テレビ視聴者から紙に描いた1コマ・マンガを郵送で応募してその中から優秀作を、やなせさんが選び『これはおもしろい!! ギャグが生きていますよ』、などといいながら、壁に貼って紹介した。 フレーベル館から絵本も出しており、素敵な絵が付いた詩集「愛の歌」や「愛の絵本」など若者に読まれていた。おのやさしいライオンの原作は幼稚園などで人気を得ていた絵本であった。 作品の概要と製作スタッフは。 企画意図 「ある街角の物語」「展覧会の絵」と、ユニークなアニメーションの傑作を自主制作し、アニメーションの発展に寄与してきた手塚治虫が、虫プロダクション制作「千夜一夜物語」にて最良のコンビとなった美術監督やなせたかしの代表的傑作の一つである原作「やさしいライオン」は児童絵本(フレーベル館)にして、出版され好評を得、子供向けミュージカルとして、ラジオドラマ化され、スライドミュージカルも製作され、子供はもちろん大人を含めた広い層の多くの人々に親しまれている傑作です。  この作品をアニメーションにしたいという、やなせたかしの情熱と、作品自体の持つ魅力が手塚治虫を動かし、児童対象の作品には珍しい、制作費と、日本アニメーション界の第一線級のアニメーターと十分な時間をかけての作品作りが実現したのです。 作品の概要 母親をなくした孤児のライオンのブルブルと母親代わりの犬のムクムクの奇妙な親子の愛情を、11曲からなるミュージカルナンバーと人間の母と子の会話でおりなす物語です。 物語はある自然動物園を舞台に繰り広げられます。 母親をなくした赤児のライオンのブルブルは子供をなくした犬のムクムクの甘い乳とやさしい子守唄でスクスクと育ちます。 そしていつの間にかライオンのブルブルは「ワンワン」と吠え、チンチンをしたりビスケットが大好物という、犬のようなライオンに育ちました。 ミミズを追いかけたり、蛙ににらまれて逃げ出したり、ブルブルは母親のムクムクに見守られて楽しい毎日を過ごしました。 そんなある日の雨上がりの午後、散歩の途中でブルブルは水たまりに写った自分の姿が恐ろしい姿をしているのにビックリ! だがムクムクは見かけは違っても心の中が一緒なら気にする事はないとなぐさめられ気をとり直すが、やがて大人になったライオンのブルブルはムクムクと離れ離れにされてしまいます。 幾年月か後、サーカスの人気者となったブルブルは雪国の港町で星の降る夜にかすかななつかしいブルブルの子守唄を耳にします。 ブルブルは我をわすれて檻をぶちブチ破り町を超え、野を超え、山を超え、雪の林の中にやせおとろえたムクムクを探し出しました。 ところがライオンが逃げ出したというので街中は大騒ぎ、武装した警官隊にブルブルとムクムクは殺されてしまいます。 そして、金色のライオンが老いた犬を背に月の光を満身に浴びて夜空を駆けていく姿を最後に物語りは終わります。製作スタッフがきまりました。 製作 手塚治虫先生 原作 総監督 やなせたかし先生 プロデューサー  富岡厚司さん 製作担当 下崎闊さん  演出助手  真佐美ジュン 原動画 赤堀幹治さん、中村和子さん、上口照人さん、金山明博さん、松山マヤさん、渡辺佳子さん、内海武雄さん山守博昭さんなどでした。仕上もトレスの代表が 島野章子さん、彩色代表が、阿部マリ子さん、美術もやなせ先生で背景は阿土延子さん西村邦子さん  田辺めぐみさんなどが、加わりました。ブラシや特殊効果は橋爪朋二さんタイトルも書いてくれます。撮影代表として森昭彦さん、1スタ、撮影班が、手伝ってくれます。編集代表松浦典良さん、 音響はグループタックとして田代敦巳さんが担当してくれました。 お話の中で唄われる歌の歌詞、作詞は当然やなせたかし先生、すでに幻灯機用に作られていた歌の作曲は磯辺俶さん今回のアニメ化を編曲したのが寺島 尚彦さん今回も唱はボニージャックス、の皆さん、挿入歌私の好きな「ブルブルの子守」を久里千春さんが歌い、演奏は寺島尚彦とリズム・シャンソネット+ストリンガス、おかあさんと、子供それにナレーションなど声の出演が、久里千春さんと、増山江威子さんお二人でした。 (のちに、日本昔話というロングランのテレビ番組を制作なさりますが、日本昔話も声優さんは2人だけでやっておられます、この時のことが、ヒントになっていたのではと、勝手に思っております。) 録音スタジオは東京スタジオセンター現像は東洋現像所と決まりました。 絵コンテが出来上がり、そこからせりふ台本が作られると、田代さんは、幻灯機でスライドを、寺島 尚彦さんに見ていただき、編曲を依頼しました。 編曲が終わると寺島尚彦とリズム・シャンソネットさんなどで音楽どりが行われ、久里千春さんと、増山江威子さんのせりふどりも、行われました。約27分に及ぶお話の、サウンドが編集され先に完成しました。  やなせ先生と原画との絵コンテ打ち合わせでは、それを家庭用のテープレコーダーにコピーして、歌の部分の楽譜と一緒に原画家に渡されました。 楽譜が読めない原画家の人もおりましたので、タイムシートに歌詞を書き込んで、動きのタイミングをつかむ作業を、お手伝いできました。これは、千夜一夜で、田代さんがおやりになっていたのを、そばで見せていただいていたおかげでした。やなせ先生は、毎日虫プロの第二スタジオへ通ってきて、キャラクター集や、動きの相談、はたまた、作画にと、文字通り「こまめに」働いておいででした。背景も今までの描き方に、パステルによる手を加えることによって、絵本的な雰囲気となり、女性だけのスタッフは大いに興味を持ちました。ある日やなせ先生から、幼稚園で、講演会をするので、一緒しませんかと、お誘いを頂いた。そのような、活動をずうっと続けていたとのことでした。手塚先生の講演会にも帯同していたのですが、雰囲気が違いました、児童と会場が一体なのでした。お話が終わって、スライドの「やさしいライオン」が上映されました。 「昔、ある国のある動物園に一匹の孤児のライオンがいました」  「コジってこじき?」
 幼い子供たちにどっと笑いがあふれます。  「孤児と乞食」、今では、こじきと言う言葉は、差別用語とかで、放送できない言葉とされ、当初は、「ピー」と消されていましたね。若い人に聞くと知らないと答える人までいます。「こじきの王様」なんて話はどうするのですかね。 お話が進んで、最初の曲が流れました 「こうしてメス犬のムクムクは、ライオンのおかあさんになりました。  やせてちいさなあかちゃんは、ブルブルふるえていましたから、ブルブルという、なまえがつきました」 幻灯機の絵です。とまっている絵なのに、子供たちはニコニコし、手をつないでいるお母さんを振り返って、指をさして、「ブルブルだって」など言っている、この絵を動かすことが出来るんだ、その時の子供たちは、もっと喜んでくれるはず。ぜったいいいものを作らなくては。 クライマックスが来て 町はずれの森のそばで、ブルブルはもうすっかりとしをとって、いまにも死にそうになっている、ムクムクをみつけました」 「よかったなあ、とうとうあえたんだね」 「ブルブルはなつかしいお母さんにあたまをすりつけて、クーンクーンとあまえました」 銃声   子供たちにひめいがあがりました。 「あ! うってはいけないのに、ブルブルはとてもやさしいライオンです、うってはいけない、やめてぇ!」 銃声 ダダダーン  おおきな子供たちのやめての声と、泣き出してしまう子がいました。 終わりが来ました 「アフリカまで走っていけば、ブルブルはいきていられるよね」 「そんなに、とおくまで,走れるかしら」 「はしれるさ!はしれぇ!ブルブル!」 こどもたちも一緒にはしれ!と叫んでいました。 音楽が流れ 「走れ、ブルブル、きんいろの、かぜのように、はしれブルブルひかる矢のように 走れ、ぶるぶる走れ、たてがみをなびかせて、走れ!」 金色のライオン、ブルブルが走っていく絵で、お話は終わりました。 ぱちぱちと幼児たちの、可愛い手で拍手が起こりました。もう泣いている子はいませんでした。 正直主人公が死んでしまう、終わらせ方には、あまり積極的ではありませんでした、なんとかハッピーエンドに出来ないものか、やなせ先生にも言いました。しかしこれが答えだったようです。スタッフにも見てもらうことにしました。 やなせ、先生がキャラクターを書いてくれましたが、作画の人たちは、それを見て頭を抱えてしまいました。やさしいライオンのスライドを見て、とてもよい作品なので、是非、アミメニしようと、意欲に燃えた作画班でしたしかし、スライドや絵本のように止めの絵で見せるのには、問題がなかったのですが、動かすとなると、キャラクターの線は、つなげなければなりません。それに、線がいくつもあるので、一つの線で表さなければ動かすのが、難しくなるのです。線を整理してキャラクターを、統一しなければなりませんでした。それも一番やなせ先生の原画に近いイメージにならなければならないので、作画の人たちは、何度も何度も書き直しては、書いてみたのです。作画の赤堀幹治さん、ぼりさんと呼ばれていました。「千夜一夜物語」の時には馬に乗った大勢の盗賊団が駆け寄ってくる、シーンの作画をしたことで、社内では賞賛を浴びておりました。今回も成人したブルブルの走るカットなど、たくさん担当しました。中村和子さん、手塚先生の女性のキャラクターを、先生以上のキャラクターで描くと言っても言い過ぎではないぐらい、上手なことで有名な原画家でした、面倒見が良いので、周りには、わこさんを慕って、渡辺佳子さんや松山マヤさんが取り巻いていました。ブルブルやムクムクのかわいらしさを出すことの研究や相談で、なべこさんやマヤさんはいつもにぎやかでした、上口照人さんは黒人とか、くろんぼうなど呼ばれていましたが、そんなに色は黒くなかったです。やはり動物の走りなど、担当しておりました。常に勉強する人で、妥協せず動きを音楽に合わせることに、苦労しておりましたが、成人したブルブルがかけていくシーンで、音楽がフェードアウトでゆっ来るになるところまで、あわせたので、ブルブルの脚の動きまで、ゆっくりになってしまって、完成してから、なおすことができず、なおしたい、なおしたい、おっしゃっていたことを覚えております。金山明博さんも動きのあるシーンを熱心に作画しております、手が早いので一番カット数を上げたかもしれません。やなせ先生の詩集を真似て、学生時代から、作詞のまねごとを、ノートに書いていましたが、小さな詩集にして、みんなに見せました。すると仲良しの内海武雄さんと山守博昭さんが組んで、二人で詩集を作り発表しました。悔しいけれど、彼らの詩のほうが上手でした。内海武雄さんの「君がお嫁に、行く時は。まるい鏡を送ろうかな、なぜって、君のそのまんまるい、かおが、鏡からはみ出すと、もったいないもん」というもので、すっかりきにいって、その詩に、曲をつけました。おいこみの、ある日作画のみんなを励まそうと、動画用紙にやなせ先生を真似て、紙芝居ふうの落書きを、つくって描きました。題名は「黒豚のタン子」。くろねこのタンゴという歌が、流行っていたころで、それをもじったものでした。下手な絵でどうってことない、内容でしたが、泊まりっぱなしで、何の娯楽もなかったときでしたので、そんなことで笑ってもらえ、少しは緊張が解けたようで、作画も上がったような気がしました。またある日、動画用紙に今日は疲れすぎていて、車の運転は出来ないというようなことを、ふざけた文章で、机の棚に画鋲で止めておきました。それが少し受けたので、今度は天井から「必完成 動画UP11月16日(
Sunday)やさしいライオン 団結一筋」などと書いた、動画用紙を吊るしました。それがきっかけとなって、作画の人たちが、その下に落書きを吊るし始めたのでした。その数なんと50枚、そんなたわいもないいたずら心が、やさしいライオン班の心を一つにさせていました。やさしいライオンが終わったとき、そのいたずら書きは、はずされましたが、捨てられることなく、大切にしまわれ、思い出の宝物としております。

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