ドラえもん 掲載誌とサブタイトル 昭和45年1月小学館の学年誌1年生から4年生で連載が始まりました。 平成8年9月亡藤本先生がくなられるまで、ドラえもんは書き続けられましたが、ここではテレビ放送が終了した翌年の3月までを一覧にいたしました。 放送することが決まりましたのは、昭和47年の幼稚園8月号のテレビ番組紹介コーナー『人気者コーナー』で「テレビに出るのをまっててね」のような、紹介文があったようです。放送の1年前には企画が進んでいたということで、1年前の1972年4月には テレビ化の企画が立ていたことがうかがえますね。 その頃 ドラえもんをテレビ化できる原作が、どれくらいあったのか?、この表を見れば、とても足りなかった事が、お分かりいただけることと思います。 使用したと思われる原作は1972年3月までのものがほとんどで、その後使われた原作は3本ですね。まだ知名度がまだ無かったドラえもん、その企画を立てた 日本テレビ動画は先見の明があったのですが、まだ早すぎたようでした。 学年誌での掲載が始まってから3年目それも小学生低学年を対象としたもの、まだ、まだ、ドラえもんの存在を知っているのは、比較的裕福で、俗に言う「いいとこのお坊ちゃんたち」 学年誌を買ってもらえるわずかな子どもたちでした。 テレビ放映の前宣伝も、「幼稚園へ行って、ドラえもんのパイロットを見せた」事から判るように、ドラえもんの対象は小学生でした。 ですからのび太は小学4年生の設定でした。2クールに声優さんを変えたりストーリー運びで、対象とする年齢をあげたりしてテレビ番組の宿命視聴率を上げるよう、血のにじむような努力がなされ、効果も上がり始めましたが、日本テレビ動画と言う会社の組織が、ドラえもんの放送を終了する事と、決めてしまいました。 大変残念でしたが、仕方がないことでした。 ドラえもんのテレビが終わると同じ頃から、ドラえもんの人気が出始め、再放送もされるようになりました。 虫プロの第2スタジオへ遊びに行った時に、みんなが、てんとう虫のイラストを一生懸命書いていました。何かいいアイディアーが無いかと聞かれました。採用されると賞金が出ると言うことは耳にしましたが、さほど興味を示しませんでした。 1974年7月 人気の出たドラえもんは、単行本として次々と発売されました。ドラえもんの人気が うなぎのぼりに上がっていくのを見聞きして、 テレビにしたのは僕たちだ!! と誇りにしていました。 数年して 短い時間でドラえもんが放送され始めました。 とても気になりました。家が近くだったので行こうかとも思いました。 でも見てみるとすばらしい ドラえもんで 安心しました。 はるかに すてきな ドラえもんは 世界にはばたいていきました。
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色のついた所は、テレビ化した話と思われるものです。 ( )は話数です |
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幼児むけ
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