| 1966年はワンダースリーの制作進行と演出助手の仕事をしていました。5月 ワンダースリーの最終回を担当しました、アフレコにも立会い、楽しい雰囲気の中、記念にせりふ台本の裏に、声優さんのサインを貰いました。6月にワンダースリーの放送が終了すると、10月から始まるニュージャングル大帝の準備室に行っていましたが、兄のように思っていた富岡プロデューサーから大変だけれども社長室へ行ってみないかと相談をうけました。もうそのころには手塚治虫を神のように尊敬していた私は、渡りに船とばかりにい、一も二もなく承諾したことは、言うまでもありません。辞令が出て七月から手塚治虫の、社長室勤務となりました。仕事の中で手塚治虫の毎日の行動の日誌を付けなければならなかったので、自分の行動も忘れないように、日記みたくメモをとっていました。手塚治虫を研究している人の少しの参考資料にでもなればと自分の事ばかり書いてありますが、その日記を、あまり手を加えずそのまま載せてみました。文章が下手で、自分でも分からなくなってしまった事柄がたくさん有りますが、何か質問など御座いましたら、メールや、掲示板にお書き込み下さい。 |